第40話 死期は順番制ではない  徒然草155

文字数 933文字

□世間に従おうという人はまず世間の人がそしり嫌うことを知るべし。順番が悪いのは、他人の耳にも逆らい、心も違い、その事柄は成就しない。そのタイミングを心得なければならない。但し、病気や出産や死ぬ時のみは機会を見計らってというので無く、順番が悪いからといってやめることはない。
※人はいずれ死ぬ。それが最大の悩みである。あまり突き詰め過ぎても、結論はでないと思う。世間並のことをしたいのなら、世の中の仕来りを心得、平穏に人生を過ごすことで、TPOを心がけよ。しかし病気・出産・死は時期を決められない。
□生住異滅という万物普遍の移り変わりは、誠に大事なことは、怒濤のごとく流れる河のごとし。しばしも止まらず進んでいくものである。されば仏道や俗世についても、必ず果たし遂げんと思うことは、好機などといってはいかん。準備が整わないからなどと、足を踏みとどまることがあってはならない。
※時の流れは無慈悲に怒涛の川の流れと同じように進んでいくものだ。自分がやっておきたいことは、躊躇せずやりなさいということでしょう。
□春暮れてのち夏になり、夏果てて秋がくるのではない。春はやがてくる夏の気を感じさせ、夏から既に秋は通じており秋はすなわち寒くなり、10月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみを付ける。木の葉が落ちても、まず落ちて芽を付けるのではない、下から新芽の萌してくるので、それに耐えられずに落ちるのである。迎える気配を下に感じ、待っていた様に落葉するのが速いのである。
※春夏秋冬が到来する前に、すでに事前準備がされているのである。
□生老病死の移りきたることは、またこれ以上にスピーディである。四季は定まった順番がある。死期は順番などない。死は前よりやって来ない。前もって背後から迫ってくる。人は皆死があることを知りて、待つこと、しかも切迫していないのに、思わないところでやって来る。沖の干潟は遙か先の方なのに、磯より潮が足元に満ちてくるようなものである。
※親より先に死ぬ子供は親不幸というが、誰がいつ、どんな順番で死ぬかは、誰にも分からない
明日、交通事故で死ぬかもしれない。すでに脳に病があり、くも膜下出血で急に亡くなるかもしれないですね。
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