第73話 障子継ぎ張り教訓 徒然草184

文字数 793文字

□相模守時頼の母は、松下禅尼とぞ申しける。相模守を招待したときに、煤けた明り障子の破れた所ばかりを松下禅尼手づから、小刀で切り回して張られていたので、兄の城介義景、その日の準備をしていたが、「預かって誰かに張らさせましょう。そのことに心得た者でございます」と申されければ、「その男、尼の細工にとても優ることはないでしょう」といって、なお一間づつ張られましたので、義景、「皆を張り替えたほうが、はるかにたやすくできますのに。まだらに張るのも見苦しですよ」と重ねて申されければ、「尼も、後はさわさわに張り替えようと思うけれど、今日ばかりはわざとこのようにしているのです。物は破れたる所ばかりを修理して用いる事こそ若い人に見習わせ、心つけんためなり」と申されける、いと有難いことである。
世を治る道、倹約を本とする。女性なれど、聖人の心に通じることです。天下を保つほどの人を子に持っておられるまことに、ただ人にはあらざりけるとぞ。
※北条 時頼は鎌倉幕府第5代執権で1246-1256であった。(生誕 1227年 死没 1263年)
27歳頃の若さで実父時氏・鎌倉幕府3代執権(生没1203年ー1230年)が亡くなったため、祖父・北条泰時に養育される。幼い頃から聡明で、祖父・泰時にもその才能を高く評価されていた。
松下禅尼は実母であり兄は嫡男である経時であった。第4代執権・兄の経時が1246年亡くなった後、鎌倉幕府第5代執権になった。まだ、双方とも執権になる前の頃のことではないでしょうか。将来、天下をとるような人は、節約というのが大事であることを、母が身をもって兄弟に教えて行く。この母親はただ者ではないと兼好先生は思われたのでしょう。兼好先生が生まれる100年前位の出来事でしょう。
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