第235話 自賛七箇条 徒然草238

文字数 2,199文字

□御随身近友が自賛といって、七箇条を書きとどめたることがある。みんな馬芸についてで、たいしたこともない。その例を思って、自賛のことが七つある。
一、人と大勢連れだって花見し歩いていた時、最勝光院の辺にて、ある男が、馬を走らせているのを見て、「今一度、馬を馳らせるならば、馬倒がれて、男は落ちるだろう。しばし見給へ」と言って立ち止まっていると、また馬を馳らせた。止める所にて、馬を引き倒して、乗る人が泥土の中に転び入ってしまった。その言葉が誤ってなかったことを人皆感じたのである。
一、今上天皇がいまだ皇太子にておわします頃、万里小路殿が御所であって、堀川大納言殿が伺候されていた控の間へ、用があって参られたところ、論語の四五六の巻を繰り広げておられまして、「ただ今御所で、『紫の朱奪うことを悪む』という文をご覧になりたくて、御本をご覧になるのだけれども、ご覧じ出されないでおられる。『なおよく引き見よ』と仰せられたので、捜し求めているのだ』と仰せられたので、「九の巻のどこそこの辺りにあります」と申し上げたところ、「あな嬉し」とて、持っていかれました。かほどのことは、子供では常のことであるが、昔の人はささいなことでも大げさに自賛したものである。後鳥羽院の、「御歌に、袖と袂と、一首のうちに詠むのは悪かろうか」と、定家卿に尋ね仰せられたところ、「『秋の野の草の袂か花薄穂に出でて招く袖とみゆらん』とありますので、何の問題もありません」と申されたことも、「時にあたりて本歌を覚え悟っていた。道の神仏の助けであり。高運なことだ」など、大げさに記し置かれておられます。九条相国伊通公の嘆願書の款状にも、格別でもない題目をも書き載せて、自賛されているのであります。
一、常在光院の撞き鐘の銘は、在兼卿の常に作である。行房朝臣が清書して、鋳型に模そうとした時、奉行の入道が、この文章を取り出して見せましたところ、「花の外で夕べを送れば声は百里に聞こえる」という句があった。「陽唐の韻と見えるのに、百里では、誤りではないか」と言うと、筆者の許へ言いやると、「誤っていました。数行と直してください」と返事があった。数行でもどうなのだろうか。若しかして数歩の心なのか。はっきりしない。数行はやはり不審である。数は四、五である。鐘から四、五歩離れていても幾らも変わらない。ただ遠くまで聞こえるという心である。
一、人を大勢ともなって、三塔巡礼をしました時、横川の常行堂のうちに、龍華院と書いてある、古い額があった。
「佐理・行成の間で疑いがあり、いまだ決せずと申し伝えがある」と、堂僧が大げさに申しておりましたのを、「行成ならば裏書が
あるはずだ。佐理ならば裏書がないはずだ」と言ったところ、裏は塵が積もり、虫の巣にて汚いのを、よく掃き清めたところを、
おのおのが見ていると、行成の位薯・名字・年号が、定かに見えていましたので、人は皆な興に入っていました。
一、那蘭陀寺にて、道眼聖が談義した時に、八災ということを忘れて、「これを覚えておられるか」と言ったのを、弟子は皆覚えて
いなかったのに、貴族の席である局の内から「これはこれでは」と言い出したところ、上人はいたく感心いたしておりました。
一、顕助僧正に伴いて、加持香水を見させて貰っていました時、まだ終らないうちに、僧正は出て帰ってきましたのに、陣の外まで僧戸の姿が見えず。
法師どもを引き帰して捜し求めさせたが、「同じさま格好の大衆が多くて、よう捜し求められません」と言って、随分長くたって戻ってきたので、
「ああ、困ったもんだ。それ、捜し求めてくださいよ」と言われたので、引き帰して内裏に入り、やがて連れて出てきた。
一、二月十五日、月の明るい夜、夜ふけて、千本釈迦堂に詣でて、後ろより入って、ひとりで、顔を深く隠して聴聞していました時、優雅なる女が、姿や香の匂い、人よりことなるが、わけ入りて膝に寄りかかれば、匂いなども移るばかりなれば、便あしと思いて、すりのきたるに、なほゐ寄りて、同じ様なれば、立ちぬ。その後、ある御所さまの古き女房の、雑談を言われたあと、ついでに、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉ることなんありし。情けなしと恨み奉る人なんある」と宣われ出だしたるに、「さらにこそ心得侍らね」と申してやみぬ。このこと、後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、御局の内より、人のご覧じ知りて、さぶらう女房を作り立てて出だし給ひて、「便よくは、言葉など懸けんものぞ。その有様参りて申せ。興あらん」とて、
はかり給いけるとぞ。
※七箇条目を見ると、兼好先生も男前だったのですね。人知れぬよう顔を隠して説教を聞いている所へ、優雅な匂いも艶やかな美女が、人をかき分け先生の傍に座り、寄りかかってきた。羨ましい限りですが、こいつ俺に気があるのかと邪推しがちです。それが便あしとすりのきたる。なんて無粋な男なのでしょう。これが自賛。うへ!後で聞いたら、その時は先生の事が、好きだったようで、今は大嫌いなのかな。ところが、誰か偉い人が、仕組んだことだったというから、先生の行動は正しかったというべきでしょうか。好きでもないの好きな素振りそれに先生が乗って恋愛に発展することもあるでしょう。お見合いの一種だったかもしれません。男と女がいて人生は成り立つ。いい話です。
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