第226話 千本念仏釈迦堂 徒然草228

文字数 617文字

□千本の釈迦念仏は、文永のころ、如輪上人、これを始められけり。
※京都の大報恩寺(千本念仏釈迦堂)で、毎年2月に遺教経会という大念仏が行われる。現在まで続く「千本の釈迦念仏」(遺教経会)は、この如林上人が始めたものとされている。如林上人は、浄土宗九品寺流祖、長西の弟子でもあった、大報恩寺・通称「千本釈迦堂」第二世である。長西のもとで浄土教を修学し、説教にも優れていたという。
※2 R4年4月18日、大報恩寺に行った。タクシーの運転手は大報恩寺は知らなかった。千本念仏釈迦堂というと、直ぐに分かった。それだけ千本念仏釈迦堂のほうが有名なのだろう。本殿は国宝にしていされているが、境内に人は見かけなく閑散としている拝観料を払い本殿に上がった。受付のお坊さんが、吉田兼好が来たときの情況を書きホッチキスで留めた文書をくれた。徒然草を元に資料を作ったようだ。建物は古く1268年頃建てられ日本最古のもの。建築にあたり棟梁が大事な柱を短く切り過ぎた。代替柱もなく、困った所へ、女房のおかめが、斗組を用いたらと棟梁にアドバイスした。工事は上手くいった。その後、斗組がばれ棟梁が罪に問われるのを心配し、おかめは自害した。境内におかめ像が座っていた。本殿の座敷に座り、賽銭を奉納し、深々と頭を下げた。「兼好先生、ようやく過去の実在の証拠となるものに遭遇することが出来ました。ありがとうございました。徒然草は有名だが、兼好先生の遺跡は少ないようだ。
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