第101話 人生の心構え 徒然草1

文字数 1,100文字

□いやはや、この世にうまれて、願わしいことの多いことよ。天皇の御位は、恐れ多く慎むべきである。皇族の末裔の方々も人間という種族ではなく高貴なお方なのである。人間の最高位である者の御境遇においては、今さら言うまでもない。普通の宮仕えの人も、身辺雑務をする随身を付けて貰える場合は、恐れ多い事である。それらの孫子の方々は、落ちぶれても、なお優雅な感じがするものだ。それより下の者は、時に栄えたこともあり、得意顔をし、自分は偉いのだと思うのだろうが、残念ながら、ものが違う。法師ほど羨ましがられる者はないだろう。「他人に木っ端のように思われているのよ」と清少納言が書いているのもさもありなんと思う。先ほどの下位の者は勢力が盛んで羽振りが良くっても、それほど立派には見えない。増賀聖の言われているように名声や評判が高いのも僧侶にとって苦しいものだ、仏の教えに反するように思われるから。ひたすらの世捨て人の方が、かえっていいのかもしれない。人間は容姿やふうさいの優れた方がいいに決まっているが、気のきいたことを言い、愛嬌があり、言葉は多くないほうが、向き合っていて気分がいいものだ。優れた人物だと思っていた人が、幻滅を感じさせる本性が表したりたりするのは嫌なものである。身分や容姿は生まれつきなものであるが、心は何故か賢くなるように努力すれば賢くなるものである容姿や心がけの良い人も、才能がなくなれば、身分が低く、顔の醜い人に、立交じっていても、簡単に圧倒されてしまうのは、残念な有様である。
 こうありたいということは、本格的な学問の道、漢詩、和歌、管弦の道。また朝廷の仕来りや政務に詳しい方、人々の模範となるひとこそ素晴らしく立派である。文字など走り書きだが見事で、拍子をとる声も良く、酒飲むときもつらそうにするけれど、下戸でもないというのが男としてはいいものである。
※第二次戦争敗戦後は天皇は人間になり、日本国の象徴という立ち位置になられたのですが、戦前までは太古の昔より、天皇は人間ではなく神様でいらっしゃったのであります。兼好先生も恐れ多くも天皇のことはとやかく書けないのであります。人間界は公家社会と武家社会とか庶民とか仏教界とか宮中とか地方権力者とかいろいろな状況だったのでしょう。この世の中で生きていく処世術なのでりましょうか。兼好先生は1300年頃の人で当時の状況を書かれているのですが、当時をリアルに想像できる文章です。これは出家を希望する若者などに対して書かれたものだという説がありますが。そういわれれば、そうかもしれないですね。
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