第190話 牛と人の命 徒然草93

文字数 851文字

□「牛を売る者がいた。買う人は『明日その値を払って、牛を引き取る』と言った。夜の間に牛が死んだ。買おうとする人に利があり、売ろうとする人に損がある」と語る人がいた。これを聞いて、側にいた者が云うには、「牛の持ち主は、まことに損をしたといえども、また大いなる利がある。その理由は、生あるものが、死の近いことを知らないこと、牛が既にそうなのだ。人もまた同じである。思いかけずに牛は死に、思いかけずに持ち主は生存している。一日の命は、万金よりも重いものだ。牛の値打は、鵞鳥の羽毛よりも軽い。万金である命を得て一銭を失う人が、損があると言うべきではない」と言うと、皆の衆は嘲って、「その理屈は、牛の買い主に限ったことではない」と言う。また側の人が云うには、「されば、人が死を憎むならば、生を愛すべきである。存命の喜びを、日々に楽しむべきである。愚かなる人は、この楽しみを忘れて、苦労して外の楽しみを求め、この生という財を忘れて、危っかしい他の財を貪り求めたとしても、志は満たされることがない。生きている間に生を楽しまずして、死に臨んで死を恐れるなどという、こんな道理はあるはずがない。人が皆、生を楽しまざるのは、死を恐れないのが原因である。死を恐れていないわけでなく、死の近きいことを忘れているからである。もしまた生とか死という現象に関与していないというのであれば、真実の悟りを得たというべきであろう」と言うと、人々はいよいよ嘲けるのである。
※何のために人は生きるのかという、永遠のテーマについて具体例を上げ、解説されているのでしょう。「牛が死んだとしても、あなたの命と比べればどちらが大切か分かるでしょう。と考えれば牛の値段を損したくらいで、くよくよしなさんな」ということでしょうか。「自分は死ぬわけはないと、過信しているから、目先の利益に一喜一憂するのだ」と言うと、「それは持ち主に限ったことではない」という。牛が死んだのではなくて、買主が死んだら、また売主が死んだら、どうなるのと言いたいのだろうか。
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