第六章 ⑧
文字数 3,399文字
言う日のことした。
今までに見たことのなかった、白衣姿の
おばあちゃんが入ってきました、
私たちの部屋に。
若いショートヘアの看護師さんと、
一緒でした。
その看護師さんが、「女医先生。
このお部屋のお二人は、同じ日に、
ママになったんです。同じ部屋で、
同じ日に、両方女の子、こんな出産って、
スゴイですよね?」
と話しかけていました。
私は、「この人、先生なのね」と、
理解しました。
そのおばあちゃん先生は、
「これも何かのめぐり合わせね。
この子もこの子も将来素敵な女性に、
なるわねぇ。あら、可愛いっ。
二人とも美人さんねぇ!
いつか、この子たち、どこかで会って、
惹かれあうわねぇ。同じ誕生日、
同じ病院生まれなんだから」と、
言っていました。
そして、おばあちゃん先生は、
曲がった背中をさらに曲げて、
ぐっすり眠っている悪魔の娘と、
あの彼女の赤ちゃんを見つめて、
笑いました。
あとで、分かったのですが、
そのおばあちゃん先生は、
そのレディースクリニックの
前院長さんでした。
院長先生や若い先生が学会とかの
用事で出かける際には、
ピンチヒッターとして検診や診察を
担当されていたそうで、その日も、
院長先生の代わりで、
久しぶりに来ていたそうです。
おばあちゃん先生は、同室の彼女に、
最初に近づき、色々とアドバイスを
していました。彼女は、素直に、
「はい。はい」、「そうなんですか?
安心しましたぁ」と聞いています。
そんなやり取りを聞きながら、私は内心、
「嫌だなぁ。こっちにも来るんだろうな。
来ないでほしいな。
アドバイスとかしてもらっても、
全然意味ないし」と思ってました。
でも、やっぱり、おばあちゃん先生は、
私のベッドの方にもやって来ました。
「さて、こちらさんは、明日退院ね」と、
言いながら。
そして、私の心を変える、そうです、
私にも、真子にも、命を解き放ってくれる
言葉を発してくれるのです!
おばあちゃん先生は、憎たらしい位、
スヤスヤ寝ている悪魔の娘・真子を
じっと見て、第一声こう言いました。
「あら、この子は本当にママにそっくりね。
将来は、ママ以上の美人さんになるわねぇ。
あぁ、見て。口元がそっくりよ、あなたと。
目元は、どっちかのおばあちゃんに、
そっくりなんでしょうねぇ!
そういうものなの!私はね、今まで、
何千と言う赤ちゃんを取り上げて
きたから分かるのよ!」
こう言ったのです!
傍に立っていた看護師さんも、
「良かったですね。奥中さん。
女医先生が言われるなら、
間違いなしですよ!
将来、真子ちゃんは男の子から
大人気の女の子ですね」と言いました。
最後に、おばあちゃん先生は、
ニコッと笑って、「女の子はね、ママに
似る方が幸せなのよ、同じレディ
なんだからね!これから、どんどん、
ママに似てくるわよ、性格も顔つきも、
あと表情もね」、そう言いながら、
看護師さんを従えて、風のように、
去っていきました。
おばあちゃん先生と看護師さんが
いなくなってから、
私は、スヤスヤと寝ている、
あの悪魔の娘に近づきました。
そして、上から世界の敵の娘を
見下ろしました。
私は、1分位だったでしょうか、
その場に突っ立って、呪われた女を
見つめていました。
そのうちに、私は、
我慢できなくなりました。
ポロッと涙が流れました。
「あっ。あのおばあちゃん先生が、
言ってた通りで、お母さんに、
そっくりだ」と思いました、本当に。
そうです、確かに、母にそっくりだと
気づいたのです、特に目元が。
また、鼻のあたりも、亡き母に、
そっくりだと思えました。
そして、はじめて、「かわいいなぁ」と、
思えたのです。
次の瞬間、私の口からは、
「かわいい」と言う言葉が、
自然と出ていました。
私は、母の孫であり、私の娘である、
赤ちゃんに両手を差し伸ばしていました。
そして、愛おしく抱きかかえました。
私の娘は、すぐに目を開き、私の目を
じっと見て、声を出して笑いました。
私は、もう堪らなくなりました。
大声を上げ泣き出しました。
泣きながら必死に、
「かわいいね。あなたはかわいいわ」と、
何度も何度も繰り返しました。
それまでは、絶対に言えなかった、
言葉です。
私が作っていた、私の娘と私の間にあった
大きくて冷たい『壁』は崩壊しました。
私の感情も顔も崩壊していましたけど。
自分の娘へ殺意を抱いていたことの
申し訳なさと、母としての愛情を
全然注いであげれていなかったことの
後悔。
そして、「お母さんと私に似てるんだ、
この子」と気づけたことの嬉しさと、
「私が、母親になったんだ!
私の娘がいるんだ」と言う喜び!!
もう、鼻水と涙が止まりませんでした、
感動と歓喜です。
私たちの部屋があまりにも騒がしいので、
看護師さん達が集まってきました。
あの真子と言う名前の看護師さんも、
さっきのショートヘアの看護師さんも
入って来ました。
同室の彼女も看護師さん達も、
私がなんで泣いているか、また、
なぜ泣きながらも喜んでいるのか
分からなかったことでしょう。
だから、かなり、驚いていました。
みんな、固まっていました。
娘を抱きながら私は、周りからジッと
見つめられる視線が気になってきました。
ハッとし、私は慌てて言いました。
「すみません。お騒がせして。
亡くなった母のことを思い出して
しまって。この子、本当に、母に、
そっくりなんです」と。
本心でした。
すると、あのショートヘアの看護師さんが
うまい具合に言ってくれたのです。
「あぁ。さっき女医先生が言ってたもんね。
おばあちゃんに、この子は、
似てることでしょうって」と。
みんな、ちょっと納得したようでした。
私は、恥ずかしくなり、娘を抱いたまま、
ベッドにちょこんと座りました。
そして、「すみませんでした。
もう落ち着きました。ダメですね、
ママがこんなんじゃ」と言って、
謝りました。
すると、看護師さん達は、安心して、
笑顔で去って行きました。
「大丈夫ですよ。何かあったら、
いつでも呼んでくださいね」と、
言いながら。
あのショートヘアの看護師さんが
最後でしたが、私と私の娘を見つめ、
「本当にそっくりですね、
ママと真子ちゃん。美人母娘ですね!」
と言い、出て行きました。
まさに、白衣の天使のようでした!
私は、その後も声を押し殺して、
泣きました。
もう、殺意なんて微塵もありません!!
自分が抱いているのは、まさに、
亡き母の孫であり、自分が産んだ、
自分の娘だと気づいたのです、やっと。
恋は盲目と言いますが、まさに、
怒りは盲目ですね。
私は、怒りと憎しみゆえに、
当たり前のことを見落としていました。
いや、おそらく、気づかないフリを
していたのでしょう。
また、認めたくなかったのです。
だから、『悪魔の娘』だったのです。
私の娘、自分の赤ちゃんではなくて。
おばあちゃん先生の言葉が、
私の耳に入るあの日、あの時まで、
真子は、私にとって、悪魔の娘でした。
本当に、自分の子どもという意識は、
全くありませんでした。
だから、育てようとか、愛情を注ごうとか
考えもしませんでした。
母乳をあげるのも、看護師さんたちの
手前しょうがなくでした。
そして、母乳をあげながら
「早く大きくなりな。いつか、お前を
変な男たちに売ってやるから!」と、
酷いことばかり考えていました。
でも、おばあちゃん先生の、
あの言葉が私の心の闇を追っ払って
くれたのです!!
そのおかげで、分かったのです。
この子は、真子は、私の子なんだと。
見えるようになったのです!
可愛らしさに満ちた、私自身の、
赤ちゃんを。
愛せるようになったのです。
私の赤ちゃんを、心の底から。
これらのこと、普通の母親なら、
当然のことが出来るようになったことが
本当に嬉しくて、嬉しくて、涙が、
止まりません。
娘の顔がはっきり見えなくなるほど、
涙がこみ上げてくるのです。
まさに、『憎き悪魔の娘』ではなく、
『かわいい私の赤ちゃん』になったのです、
真子は。
もう、「あいつの娘。殺すなり、
売るなりして、復讐してやるんだ!」と、
言うような意思、計画は、私の心から
きれいさっぱり無くなっていました。
21歳の私は、真子を産んで6日後、
やっと、自分の娘・真子の母に、
なれたのです!!
それまでは、母と呼ばれる、
殺人計画者でした。
ただ、殺す、復讐することしか、
頭にありませんでしたから。
可哀想な真子は生れて6日経って、
やっと『母親』の腕に抱かれたのです。
6日間、親の愛を受けずに息をし、
寝てていた真子。
どんなに、苦しかったことでしょう。
(著作権は、篠原元にあります)