第四章 ⑫
文字数 3,857文字
笑顔を見たくなっていたのです。
そして、何より、料理上手の祖母が
用意してくれているご飯を食べたかった。
ビーチの近くにある祖母の家に
向かいながら私は、
「今回は私一人だから、
おばあちゃん独り占めできるな」と
考えていました。
死ぬ気は、まったくなくなっていました。
楽しくて、幸せな祖母との数日間は
一瞬のごとく過ぎ去り、私は現実に
戻りました。
結局、祖母には自分の苦しみや
悲しみを言えませんでした。
死ぬことも、祖母に相談することも
どっちも出来ずに、私は帰ったの
です、いすみに。
すると、やっぱり、
「あぁ。あっちで死んでたら
楽だったなぁ」と思うようなことの
連続でした、学校生活-現実-は。
そんな日々でした……。
そんな私にも、脱出の道-出口-が
あったのです。
いいえ、脱出のための友が
備えられていたのです。
誰とも馴染まない、そして、
明らかなイジメの対象となっている
私を見て、心を痛めてくれて、
ことを起こしてくれる、勇敢な
女子中学生たちがいたのです!
一人は、私と同じクラスでした。
森上泉樹(もりがみせんじゅ)という
目が大きく、いつも髪の毛を
ポニーテールにしている子でした。
その泉樹たちが、
「葦田みどりを仲間に入れよう!
あの子、ああだけど、逆に、一人で
あんなに耐えてるってことは、
かなり強いよ。絶対……。
仲間に入れて損はない!」と計画して
くれたのです。
どっちかと言うと、体を動かしたり、
遊びに行くのが大好きな彼女たち
には、「あんなに頭良いんだから、
友達になったら勉強教えてくれる
はず」とか「夏休みの課題、手伝って
もらえるよね?絶対」と言う魂胆が
あったそうですが、それはどうでも
良いのです。
彼女たちは、無視を続ける私に、
いろいろ優しく話しかけてくれ、
ランチに誘ってくれ、時にお菓子を
無理やり手渡すのでした。
最初は、決めていた通り拒絶し、
無視していましたが、あまりにも
しつこいので、そして、私を見放そう
とはしないなと分かってきたので、
私は決めました。
彼女たちと一緒になることを。
どこか、まこちゃんに申し訳なくも
思いましたが、もう一人で耐えるのは
限界でした。
あの頃よく、
「もう私も苦しんだだし……。
まこちゃんも、今頃、どっかで
友達と仲良く過ごしてるわ。
きっと……」と、自分に弁解を
していたのを思い出します。
全くの孤独状態から、5人での楽しい
スクールライフ……。
最初は、戸惑いがありました。
ぎこちなさを感じました、自分自身。
もちろん、彼女たちは
「ミドリムシ」なんて絶対に
言いません。
同年代の女子に名前で呼ばれると言う
当たり前のことが、私には涙が出る
ほど、嬉しかった……。
4人……、泉樹と園実(そのみ)と
美門(みも)と備恵(そなえ)は、
本好きな私に、いっぱい本を
貸してくれました。
その中には、恋愛小説や大きな声では
言えないような内容の本もありました。
もし、今、目の前に、そんな類の本
を持っている女の子がいたら、
絶対に私は声をかけます、職務柄。
でも、そんな本を私たち、女学生は、
興奮して叫びながら、読んでいたの
です。
今では、懐かしい思い出です。
よく騒ぎました。
本当に、私の心を何度も何度も
優しくたたき続けてくれた、
諦めないで声をかけ続けてくれた
彼女たちに、今感謝でいっぱいです。
泉樹たちと一緒にいるようになって、
私はダメにならずにすんだのです。
あのまま一人だったらどうなって
いたことでしょう。
最近、多くの道を踏み外してしまった
女の子たちと対面しますが、
「あぁ、泉樹たちがいなかったら、
絶対に私、この子たち以上に悪い
方向に行ってたな」と思います。
まさに、泉樹たちはギリギリの私を
助けてくれたのです。
私と一緒に行動してくれて、私に
笑顔を取り戻させてくれました。
また、泉樹や園実は、狼のような
クラスメイトから私を守ってくれる
城壁のようでした。
悪口が聞こえるや、彼女たちが
「誰が言った?今!!」とか
「言いたいことあるんなら、陰で
言わないで、堂々と言いなよ!」
とビシっと言ってくれる。
嬉しかったです、本当に。
一緒に憩いを共有してくれて、
一緒に語り合ってくれて、
一緒に泣いてくれた、
そして、私のために怒ってくれた、
あの4人のおかげで、私も徐々に
学校生活が楽しくなっていくもの
でした……。
4人と一緒にいることで、
鈴子たちからのいじめも徐々に
減っていきました。
少しづつ4人以外の友達も
できました。
最近、泉樹たちに会っていませんが、
私は彼女たちを恩人だと思って
います。
ひどい態度を取る私を見捨てずに、
何度も声をかけてくれた……。
今でも思い出します。
ある時、ランチの時間、備恵に
訊いたことがあります。
「なんで、あんな私に何度も声を
かけてくれたの?」と。
彼女は笑顔で答えました。
「えっ?だって、断るけど、
ちゃんといつも目をじっと見て
丁寧に断ってたじゃん。
なんか、『あっ!この子、本当は
友達欲しいんだな。
良い子なんだ!』って思わせる何か
があったから……」。
そうだ。彼女たち4人は小学生の頃から
の友達で、家も近所同士で、
小さい頃から教会学校に通っていた
のです。
そのおかげで、優しい泉樹たちでした。
そして、行動を起こしてくれて、
私は助かった。
教会、クリスチャン、信仰も悪くはない、
いいえ、良いものだと私は思って
います。彼女たちの存在ゆえに。
でも、私は教会には行きませんでした。
何度か、誘われました。
教会のクリスマス会やバザーに。
でも、私は何だか教会には行く気に
なれなくて、断っていました。
今、大人になってみると、
「あの頃、一度でも行っておけば
よかったなぁ。勉強になっただろうに。
もっと、人生良くなってたかも……」
と思います。
とにかく、私の中学の3年間……。
当初は散々でしたが、途中で泉樹たちと
出会い、総合的に言えば、本当に楽しい
ものでした。
もちろん、一人になったり、部屋で
宿題をしたりしていると
「これでいいのかなぁ。
まこちゃんは……」と葛藤も
ありました。
でも、小学校の時とは違う、
中学校の雰囲気、つまり、いじめや
悪口には耐えられないなと
思いました。
小学校の時と違うと言うのは、
小学の時は、私のことを同級生達
は知っていましたから、
突然無口になって、人格が変わった
ようになっても、みんなから
いじめられたり、悪口を言われたり
ということはなかったのです。
ひとりぼっちになっただけで。
でも、中学校では周囲に私を
昔から知っている子はいませんで
した。
風当たりも小学校の頃と中学校の
時では全く違ったものでした。
だから、「とにかく、学校では
泉樹たちと一緒にいよう」と
決めました。
自分がかわいいものなんですね、
人間と言う生き物は。
中学時代の思い出話、もう少し
させてください。
泉樹や備恵たちは、あまり勉強は
好きではありませんでした。
どっちかと言うと、女子校と言う
タイプではない子たちでした。
でも、派手に遊んだり、悪さを
したりすると言うことも
ありませんでした。
都会に行って楽しむと言うようなこと
を好む女の子たちでなかったので、
私たち5人は田舎でゆっくりと純粋に
中学生ライフを過ごしていました。
学校の近くを流れる川の川辺で
戯れたり、駄菓子屋さんの前で
座り込んでワーワー話したりと楽しい
日々でした。
変な遊びや男の子たちと出かけるという
ことはありませんでした。
だって、男子との出会いが全く
ありませんでしたから、女子校
なので。
でも、5人でふざけたことをして
笑い合ったり、
修学旅行先で、先生から逃げ回ったりと、
楽しい思い出がいっぱいあります。
それから、5人で本を回し読み
するのも私たちの流行でした。
難しい本……なんて読みません。
泉樹が持ってくる恋愛小説や
備恵が持ってくる推理小説、
それから園実がお兄さんの部屋から
黙って持ってくる大人の内容の
小説……、これが一番人気でした。
今、そんな小説や漫画を子どもたちが
持っていたら、速攻私が取り上げる
でしょうけど……。
あと、交換日記を書いたりも
していました。
ある時、小学生の頃の思い出を
書こうと言うことになりましたが、
私はどうしても書けませんでした。
まこちゃんのことを思い出して。
書くならまこちゃんのことを
書かないといけない……。
でも、まこちゃんのことを書く
資格は自分にはない……。
そんな中学校時代でした。
それから、高校に進学しました。
中高一貫校だったので、エスカレート式
で高校―愛泉女学院高等学校―に
進んだ私は、中学校時代の恩人で
親友でもある4人、泉樹や美門、
それから園実や備恵と距離を置く
ようにしました。
みんな同じ高校に進んだのですから、
不自然なことでした。
クラスは別でしたが、廊下や体育館で
すれ違うこともあれば、彼女たちも
最初の頃は声をかけてくれました。
でも、私は何だかんだ避けていました。
なぜそうしたかと言うと、
「もう一人でいいや。高校は」と
決めたのです。
勉強や一人の時間を大切にしたいと
思うようになっていました。
その頃の私は。
ちなみに、泉樹は高校1年生の時から
生徒総会に入り、3年の時には副会長
まで務めていました。
備恵は、学校に内緒でバイトをして
いましたし、園実と美門は
ソフトボール部に入部して毎日
頑張っていました。
だから、みんながそれぞれ忙しく、
自然と私も一人ぼっちになっていった
のです。
もとに戻ったと言うべきでしょうか。
高校1年のクラスで、友達を
作ろうとしなかった私。
一人になろうとした私。
だから、親しい友達はできませんでした。
だからと言って、中学校の頃のように
いじめがあったわけではありません…。
(著作権は、篠原元にあります)