第八章 ②
文字数 3,729文字
イライラさせる存在が、いた。
同じスーパーで働く、ウザだった。
もちろん、〔ウザ〕と言うのは、真子が
秘かにつけた『あだ名』なのだが、
真子には、〔ウザ〕が本当に、ウザく
感じた。
そう、真子の働くスーパーでは、従業員同士
の仲が良くて
―壁を作っていた真子を除き―、
社員もパートもアルバイトも、みんなが、
ニックネームで呼び合っていた。
「サブさん!」とか「ひっさん、来て~」
とか「プリンちゃん、よろしく!」と。
そして、その50代の彼女は、みんなから
〔さだみん〕と呼ばれていた。
そう。真子が、ひそかに〔ウザ〕と
名付けた女性のことを、みんなは
〔さだみん〕と呼んでいたのだった。
真子は、「何が〔さだみん〕よ!?
いい年してんのに、そんなんで、
恥ずかしくないの!?」と内心思っていた。
だけど、みんなとの間に壁を作り、
最低限の仕事以外の関係は避けようと、
休み時間も一人でいる真子に、いつも、
近寄ってくるのも、〔ウザ〕だった。
正直、真子は、誰にも近寄ってほしく
なかった。
最低限、仕事のことでは協力し合うが、
その他の時間は、誰とも関わり合いたく
なかった。
一人で、いたかった。
誰かと仲良くなったり、誰かと、
良い関係を築くために、ここに来たわけ
ではなかった。
だから、『近寄るなオーラ』を出して、
いた。
当然、そんな真子に、仕事以外のことで
近寄ってくる同僚や先輩はいなかった。
それこそ、真子の望んだ通りだった。
でも、それなのに、〔ウザ〕は -もう
一度言うがみんなは〔さだみん〕と
呼ぶ- 、しきりに、こっちを見てくる
のだ!!
それに、事あるごとに、「こっち来ない?」
とか「柳沼さんは、何が趣味なの?」とか
「ねぇ、一緒に見ようよ!」と、声を
かけてくる!!!
〔ウザ〕が、真子には、鬱陶しかった。
一人で、静かにしていたのだ、こっちは。
それなのに、いちいち話しかけたり、
お菓子を持ってくる……。
だから、真子は〔ウザ〕と名付けた。
ちなみに、真子が〔ウザ〕と名付けて
いた、〔さだみん〕は、みんなからは、
大人気だった。
ムードメーカー的存在。
どんな時にも明るくて、一緒にいるだけで
幸せな気分に……、そんな人だった。
新入りの子にも優しく声をかけ、
丁寧に指導する。
社長夫妻からも信頼され、社員や同僚や
後輩からも尊敬される人だった……。
ただ一人、みんなからニックネームで
呼ばれることを頑なに拒み、
「柳沼さん」と -つまり名前
そのままで- 、呼ばれる真子だけが、
彼女を忌み嫌っていたのだった。
これは、〔さだみん〕が、悪いわけでは
なく、真子が異常な状態だったことに
よる。
この頃の真子は、復讐しか頭になく、
そして、自死を考えるような人間で
あったので、だから、他人の好意を素直に
受け取れなかったのだ。
そう、酷いが、〔さだみん〕の優しさ、
思いやりが、逆に嫌で嫌でしょうが
なかったのだ。
休憩時間。
真子は、一人ぼっちで、店で一番安い
カップ麺をすする。
奥のテーブルでは、〔ウザ〕を囲み、
みんながワイワイとランチを楽しんで
いる。
いつも通り、大きな声で〔ウザ〕が、
「今日も素晴らしい一日ね!休憩時間
終ってからも頑張りましょう!」と、
さわやかに言っている。
そして、みんなも「オ-!」と応えて
いる。
「ついていけないわッ!
何が素晴らしい一日よ!?
頭、オカシすぎない?
クレーマーもいるし、今日も、
万引きされてんのに!!
現実逃避してんのね、この人たちは」と
思った。
そんな真子の耳に、さらに追い打ちを
かけるように、〔ウザ〕の声が飛び込んで
くる。
チラッと見れば、みんなは、ウンウンと
有難そうに聞いている……、狂ってる?
「とにかく、感謝の告白、肯定的な
発言をするの!
そうするとね、心も体も健康になるし、
若返るのよぉ!
だからね、意識して、良い言葉を口から
出してるの。
みんなも頑張ってみて。
少しぐらい、嫌なこととか、
悲しいことがあっても、逆に、
『問題を感謝!』って言ってみて。
明るい気分になれて、乗り越えれるよう
になるわ!!
これ、絶対に効果あるわよ!」と。
真子は、心底「ウザッ!みんな、それぞれ
家庭とか、ここで嫌な体験して、
落ち込んでんのよ!!
それなのに、『問題を感謝』!?
本当にウザいわ、このオバサン。
良い迷惑でしょ、みんなも」と思った。
でも、『ウザ』の周りの女性陣&男性
数人は、素直に受け入れている。
真子は、目を疑った。
なんで、こんな話をみんなが真剣に
聞いているのか。
聞く価値もないような精神論なのに……。
「おかしいわ、ここの人みんな!
特に、ウザ!
度を超すお節介だし、いろんな意味で度を
超えてるわ。
言うことも、やることもオカシイ!
この人なら、近寄っちゃいけない危険な
動物に近寄って大けがしたり、
触っちゃいけない危険な箱に、あえて
手を伸ばして死んじゃうとか、ありそう。
本当、ウザくて、お節介すぎる!!」と、
真子は思った。
そして、翌日、〔ウザ〕と二人きりに、
なってしまった!!
たまたま、更衣室で一緒になって
しまったのだった。
他には、誰もいなかった……。
真子は、いつもの3倍のスピードで、
着替えを済ませようとした。
そんな真子に、〔さだみん〕が話しかけ
てきた。
「柳沼さんって、下の名前は、
なんていうの?」
真子は、わざと、大げさにため息をついて、
〔ウザ〕に答えた。
「私は、真子です……。
さだみんさんは、何ていうお名前なん
ですか?」
一応名前を訊いてあげようと、思った。
〔さだみん〕は、いつもの笑顔で、
「私は、定食の定に、美しいの美で、
定美よ。だから、名前そのままで、
みんなから、さだみんって呼ばれてるの」
と言った。
真子は、初耳だった。
別に知りたくもなかったけど、
〔さだみん〕の由来を知れて、
ちょっとだけ嬉しかった。
なぜかは、わからないけど、ちょっとだけ、
嬉しくなったのだ。
でも、それを悟られまいと、真子は、
急いで扉の方に向かった。
「すみません。そろそろ持ち場に、
着かないといけないので……」と、
言いながら。
その翌日、あぁ…!
また〔ウザ〕が、休憩時間に一人で、
サンドイッチを食べているとこに来て、
質問してきた。
「ねぇ、真子ちゃんって、
どこの出身なの?
あと、今、何歳なの?」
真子は、昨日名前を教えてしまった
ことを後悔した、心底!!
それと、急に下の名前で呼んでくる
この厚かましさ、距離感の取れなさが、
さらに嫌になった。
真子は、ムッとした表情でぶっきらぼうに、
答えた。
わざと、明らかに不機嫌だと分かるような
声で…。
「私の実家は、愛媛県の松山市の山奥です。
それと、中学卒業して、愛媛からこっちに
出て来たので、高校に通っていませんけど、
そう言う年齢です。けど、それが、何か…?
アッ、それと、下の名前で呼ばれたくない
ので、苗字でお願いします!」
〔ウザ〕に対する反発心、対抗心があった
ので、真子は素直に答えれなかった。
出身地を訊かれたけれど、教えたくなかった。
だから、雪子の家がある、松山のことを
言ったのだった。
本来なら「千葉県のいすみ市です」と、
答えるべきだったのだろう。
あと、年齢を、そのまま言うのが癪だった
し、正確な年齢を知られたくなかったので、
『高校』と言う言い方を使った。
不機嫌オーラを出しまくって、明らかに
嫌そうに答えたのに、〔ウザ〕はいつも通り
の笑顔で、
「ふ~ん。学校行ってれば、高校生かぁ。
うちの息子と同じだね!
若いねぇ、そして、偉いねぇ!
あと、名前かわいいのに…。
何で苗字で呼ばれたいの?
まぁ、柳沼さんがそう言うなら、
しょうがないけどさ……。
じゃ、私あっち行くから、お昼からも
頑張ってね!」と言って、
向こうのテーブルの方に、去って行った…。
真子は、「本当に、何なのあの人!?
普通、あんな態度を自分より
かなり年下にとられたら怒るでしょ、
少しは……。
何で、あんな笑顔でいれんの?」と
考えてしまった。
正直、〔ウザ〕のことが、
よく分からなくなっていく。
もしかしたら、本当にスゴイ人物なの
かもしれない…。
良い人なのかも…。
または、ただの鈍感な人なのかも…。
人生経験のない真子には、判断が、
つかなかった……。
翌週の月曜日も、〔ウザ〕が、
例のごとく笑顔で近づいてきた。
真子が、事務所で書類を整理している
ところに入って来たのだった。
〔ウザ〕が、「はい、これ……」と
言って、白い紙袋を渡してきた。
真子は、どうして良いのか
分からなかった。
嬉しいような、迷惑なような。
そんな真子に〔さだみん〕が言った。
「栁沼さんッ!ネ、開けてみて。
これ、柳沼さんにプレゼントなの」と。
プレゼントと聞いて、真子は正直なところ
嬉しかった。
雪子以外の人からプレゼントをもらう
のは本当に久しぶりのことだった。
真子は、素直に、紙袋を開けてみた。
中には、ハート形のキーホルダーが、
入っていた。
真子が、
「えっ?キーホルダー?」とつぶやくと、
〔さだみん〕が言った。
「柳沼さん。これ、使ってくれるかしら?
昨日ね、あるお店に行ったら、
これがあってね。
私、『あっ。柳沼さんにピッタリ!』って、
思ったの。
…あのね、柳沼さんって、私の次男と同じ
年齢なのに、真面目に、必死に働いてて、
スゴイと思う!
私、尊敬してるのよ!
あと、あたし、うるさいかもしれない
けど、赦してね」。
(著作権は、篠原元にあります)