第五章 ⑬

文字数 3,527文字

その日、真子は、改めて、雪子おばさんの
優しさと思いやりを知った…。
雪子おばさんは誕生日や夏休み、年末に、
ずっとプレゼントを送ってくれていた。
けれど、その際、いつも一緒に、現金が、
母宛に届いていたとは、知らなかった。

「私は一人暮らしで、家も持家だし、
畑では野菜もできるし、あんまりお金を
使わんのよ。夫の遺族年金のいくらかを
送るから、峯子さんたちの必要なものを
買ってね」、そう言って、自分達母娘を
支えてきてくれていたのだと、真子は、
感動した!


また、峯子は真子に教えてくれた。
「早くに死んだ、あなたのね、
おじいちゃんとおばあちゃんが、
遺してくれたお金も少しあるのよ」
真子は、「あぁ。遺産ってやつだなぁ。
どれ位あるんだろう?」と思っていた。

でも、峯子は、『遺産』とは言いたく
なかった。
両親を突然亡くしてしまった、あの事故の
ことを思い出したくなかったのだ。


真子は、この機会に、自分の祖父母のことで
いろいろ訊きたかったので、もっと話した
かった。
けれど、母の顔を見て、真子は、
口を閉じることにした。
何かをじっと考えているかのような、
深刻な表情だったから……。


でも、真子は何か嬉しかった。
母が、ちゃんと自分の質問に、正直に
答えてくれた。
そして、雪子おばさん。
もう感謝の気持ちが、いっぱいだ。
…ずっと年3回のプレゼントを送って
くれてきた。そして、一緒に生活も
させてくれた。
それだけじゃなく、お金も送ってくれて
いたとは!
真子は、すぐにでも飛行機に乗って、
松山に行き、雪子おばさんに思いきっり
抱きついて「ありがとう!」と、
伝えたかった。

真子は、幸せな気分になった。
そして、自分だけの秘密を、母に打ち明け
ようと思った。
誰にも言わずに、一人で頑張ろうと
思っていたけど、明確な『将来の夢』を、
もう伝えておきたくなった。
それと、雪子おばさんにも…。


実は、その『将来の夢』のために、
英語に力を入れようと最近は頑張った。
それに、ダイエットにもチャレンジ
しだした、母には内緒で……。
-ちなみに、峯子は、気づいていた、
黙っていたが-
そして、その『将来の夢』のために、
英語教室に通いたい、と思った。



真子は、母の目を見つめて、
話し出す。
「私ね、将来、グランドスタッフに
なりたいの。だから、卒業したら、
外語学校に行きたい!
そのためにね、今から英語に、力を
入れたいんだ」


……母は、真子が思った通りの反応
だった。
『グランドスタッフ』が何なのか、
分かってないような素振だった。
「無理もないなぁ」と、真子は思う。
自分だって、最初は、『グランドスタッフ』
という仕事さえ知らなかったのだから。
まして、母は外出嫌い。
母が、直近で、飛行機に乗ったのは、
そう、空港に行ったのは、
思い出せる限りでは、自分が小一の時。
あの時は、雪子おばさんに、二人で会いに
行ったんだ。


真子は、母に説明した。
「飛行機に乗ってね、色々とサービス
するのはスチュワーデスさん。
それでね、私が言ってる、
グランドスタッフっていうのは、
空港で、お客の案内とか搭乗の手続き
とかをする仕事なの。
だから地上職とも言うの」



真子は、珍しく、得意になって説明
していた。
何か、すでに自分がグランドスタッフに
なったような気分がしていた。

峯子は、喜んだ。
母として嬉しかった。
生命を尊ばす、生きる気力を無くした
かのように……と思えた娘に、
『将来の夢』が出来たのだから!
それに、目を輝かせて、自分に、
そのことを話してくれている!
あの娘と言い争った夜以降、娘の心は、
まるで機械のように冷たく、何の希望も、
もうないのでは…、と真剣に悩んだ。
でも、『将来の夢』を語る娘の表情は、
良い。高揚していて、頬も紅い。
夢に溢れる、可愛らしい女の子の顔。

「それで身長とかを気にしだしたのね、
ここ最近……。
牛乳をやたら飲むようになったし、
その反面、あまり食べなくなった……。
スタイル気にしてるのね」と、母は思った。
母は内心、ガッツポーズをした。
一安心した。
赤ちゃんのことは、心底残念だけど、
まだこの子には、未来があるんだ……。


……真子は、グランドスタッフに、
初めて憧れを抱いた、あの日のことを、
思い出した。


あれは、松山から奈良へ戻る日の
ことだった。
故郷と感じるようになった松山市を
離れて、母の待つ奈良に向かった、
あの暑い暑い日。
雪子おばさんが前日に買ってくれた、
水色のワンピースを着て、松山空港に
いた。
雪子おばさんは、空港前で帰った。
ちょっぴり寂しくも、同時に、母懐かしさ
で心はワクワクしていた。



空港内の手荷物カウンターの列に、
並んだんだ。
夏休みだからなのか、かなり混んでた。
家族連れ、老夫婦、外人旅行客、一人旅
っぽい人、いっぱいだった。
そう、後ろには若いカップルがいた。
幸せそう。会話から新婚旅行だと、
分かったんだ。
そっと、後ろを振り返りたかったけど、
恥ずかしくてできなかった。
「いいなぁ。結婚して、旅行して、
二人で幸せに暮らしていくんだよね。
私もいつか結婚したいなぁ」と、
思った。


そのすぐ後、ドキッとしたんだった。
「ママ-!!おしっこ、
したいよぉ!!」と言う、女の子の
声が耳に飛び込んできて…。

ハッとして見たら、
目の前に並んでいた親子。
スラリとした20代半ばのお母さん、
それと、5歳くらいのポニーテール
の女の子が前にいた。


そうだった。「かわいいなぁ」と、
その子の後姿を見ながら、思ってたんだ。
小さい頃、妹が欲しいって、ずっと
思ってたから……。

その女の子が、お母さんを見上げながら、
「ねぇ、ママッ!!おしっこ、したいよ。
おっしこぉ!トイレ、連れてって!」と、
連発してる。
お母さんは「ちょっと待って。すぐに、
順番くるから…。荷物預けたら、トイレ
行こうね」と言うけど、女の子は、
さらに「おしっこ!もう我慢できない、
ママ!」と赤い顔で叫ぶ。

そのお母さんの気持ちも分かった。
すぐに、トイレに連れて行ってあげたい
んだろうけど…。お父さんが一緒に
いれば、お父さんにそのまま並んで
いてもらって、トイレに行くことも
できるけど、お母さんと娘だけだし……。

後ろの方を見てみる。
手荷物カウンターに並ぶ人の行列、
長くなっている、さっきより…。
ここで、お母さんが、この場を離れて、
この子とトイレに行ったら、また一番
最後尾から並ばないといけないよね…。
そしたら、どれ位並ぶことになるか。
もしかしたら、乗る飛行機に
間に合わなくなっちゃうかも…。


名前も知らない目の前の親子のことで、
ハラハラする。
自分に、何かできるかな…と、考え
こむ。しかし、何の答えも出てこない。

その1、2分の長いこと!
ポニーテールを揺らして、お母さんの手を
握りながら、「ママぁ!まだぁ?早く、
トイレ行きたいよぉ!!」と叫び続ける、
女の子。見るに忍びない!


寒気がしてきた。
心臓が、ドキドキと音をたてている。
AYA(オールヤマトエアラインズ)の
手荷物カウンターのスタッフたちは、
目の前のお客への対応で精一杯のよう…。
それほど、あの日は、混雑してた。
どのスタッフもパソコンの画面を
にらみながら悪戦苦闘、また、
トランシーバーを手にどっかと
連絡したり、お客への案内とかで、
本当に大変そうだった。
周囲を見る。
手の空いてるAYAのグランドスタッフ
は見当たらない。
いたら、呼んであげようと思ったのに…。

いっそ、「あの……。お子さんを、
トイレに連れて行ってあげたら
どうですか?辛そうですよ」と言って
みようかと一瞬考えたけど、そんな
勇気はないし、それは無責任なことで、
単なるおっせかいだと思った。
なんなら、「私がこの子をトイレに
連れて行ってあげます」と言いたかった。
まだ、こっちは時間に余裕があったし、
最悪荷物はそのまま飛行機内に
持ち込めば良いんだし……。
でも、目の前のそのお母さんへの、
一言がどうしても出てこない!
そんな自分が嫌だ…。

……目の前の女の子に、この後、すぐに、
降りかかる出来事―惨事―を想像して
しまった。
自然と目をつぶる。
あの日 のことが、フラッシュバック
して来た!
あの日の自分と、目の前の女の子が
重なる!!!!
「この子も、このままだと、こんな
大勢の人が見ているとこで、
おもらしをしちゃう!!」
知らないうちに、握りしめていた両方の
拳は汗ばんでいた。
真子は、目を閉じた……。



その女の子は、しきりに、
「ママ!まだぁ?早く行きたい、トイレ!」
と言ってやまない。
もう、この場から、逃げようと、
真子は思った。
この子が、おもらししてしまう現場を、
絶対に見たくはない!
そんな現場に死んでも立ち会いたく
なかった。


真子は、
「もういいや!ここにいたくない!!
この荷物ぐらいなら、飛行機に、
持ち込もう」、そう決めて、
その行列から離れようとした、が…!





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登場人物紹介


奥中(おくなか) 真子(まこ)のちに(養子縁組により)(やぎ)(ぬま) 真子のちに(結婚により)栄真子




 本書の主人公。小学校3年生のあの日 、学校のクラスメートや上級生、下級生の見ている前で、屈辱的な体験をしてしまう。その後不登校に。その記憶に苛まれながら過ごすことになる。青春時代は、母の想像を絶する黒歴史、苦悩を引継いでしまうことなる、悲しみ多き女性である。





(あし)() みどり



本書の主人公、真子の小学校時代のクラスメートであり、大親友。



しかし、小学校3年生のあの日 、学校の廊下を走る真子の足止めをし、真子が屈辱的な体験を味わうきっかけをつくってしまう。



その後、真子との関係は断絶する。










(よし)(とき)



本書の主人公、真子の小学校時代のクラスメート。葦田みどりの幼馴染。



小学校3年生のあの日 、学校の廊下で真子に屈辱的な体験をさせる張本人。











奥中(おくなか) 峯子(みねこ)



本書の主人公、真子の母。スーパーや郵便局で働きながら、女手ひとつで真子を育てる。誰にも言えない悲しみと痛みの歴史がある。








雪子(ゆきこ)



本書の主人公、真子の大伯母であり、真子の母奥中峯子の伯母。


愛媛県松山市在住。







銀髪で左目に眼帯をした男



本書の主人公、真子が学校の廊下で屈辱的な体験をするあの日 、真子たちの



住む町で交通事故死した身元不明の謎の男性。



所持品は腕時計、小銭、数枚の写真。










定美(さだみ)(通称『サダミン』)



本書の主人公、真子が初めて就職したスーパーの先輩。



優しく、世話好き。



だが、真子は「ウザ」と言うあだ名をつける。









不動刑事



本書の主人公、真子が身の危険を感じ、警察署に駆け込んだ際に、対応してくれた女刑事。



正義感に溢れ、真面目で、これと決めたら周囲を気にせず駆け抜けるタイプである。



あだ名は、『不動産』。警視庁阿佐ヶ谷中央警察署生活安全課巡査部長。
















平戸



本書の主人公、真子につきまとう男。



また、真子の母の人生にも大きく関わっていた。






愛川のり子



子役モデル出身の国民的大女優。



〔あいのん〕の愛称で、幅広い世代から人気。



映画、テレビ、雑誌などで大活躍中。







石出(いしで) 生男(いくお)



本書の主人公、真子の小学校時代のクラスメートであり、幼馴染。小学校3年生のあの日 、真子を裏切る。




(やぎ)(ぬま) 真子のちに(結婚により)(さかえ) 真子



 本書の主人公。旧姓は、奥中。



小学校3年生の時、学校中の見ている前で屈辱的体験をし、不登校に。



その後は、まさに人生は転落、夜の世界へと流れていく。



だが、22歳の時小学時代の同級生二人と再会し、和解。回復への一歩を歩みだす。

(さかえ)(よし)(とき)



本書の主人公、真子が小学校3年生の時、屈辱的体験をさせた張本人。



そして、真子が22歳の時、男に追われているところを助けた人物でもある。



その後、真子の人生に大きく関わり、味方、何より人生の伴侶となる。

柳沼雪子



本書の主人公、真子の大伯母。養子縁組により、真子の母となる。



夫は眼科医であったが、すでに他界。愛媛県松山市で一人暮らしをする愛の女性である。

定美(さだみ)(通称・『サダミン』)



本書の主人公、真子が大事にしているキーホルダーをプレゼントしてくれた女性。



真子が川崎市を飛び出して来てから長いこと音信不通だったが、思いもしないきっかけで、真子と再会することになる。

不動みどり



本書の主人公、真子が小学校3年生の時、屈辱的体験をするきっかけを作ってしまう。



そして、真子が22歳の時、再会。つきまとい行為を続ける男から真子を助ける。



旧姓は、葦田。警視庁阿佐ヶ谷中央警察署生活安全課・巡査部長。

都和(とわ)



明慈大学理工学部で学んでいた女性。DVによる妊娠、恋人の自殺、大学中退……と、真子のように転落人生を歩みかけるが、寸前を真子に助けられる。

愛川のり子



〔あいのん〕の愛称で、幅広い世代から人気。



映画、テレビ、雑誌、海外でのドラマ出演など活躍の場を広げる国民的大女優である一方、息子の『いじめ報道』に心を痛め、また後悔する母親。



本名は、哀川憲子。

()(おり)



結婚した真子の義姉となる女性。



真子との初対面時は、性格上、真子を嫌っていたが、



後には、真子と大の仲良し、何でも言い合える仲になる。



名家の出身。



 

石出(いしで) 生男(いくお)



本書の主人公、真子を裏切った人物。



真子が小学時代の同級生二人と再会し、和解した夜に自殺。



第二巻では、彼の娘の名前が明かされる。

新名 志与


旧姓、長谷島。

第一章では、主人公に、『しーちゃん』と呼ばれている。

夜の世界で働いていた真子にとって、唯一の親友と

呼べる存在、姉的存在だった…。


ある出来事をきっかけに、真子と再会する(第二章)


小羽


 真子の中学生時代(奈良校)の同級生だったが…。


第二章で登場する時には、医療従事者になっている。

居村


 義時と真子が結婚式を挙げるホテルの担当者。

ブライダル事業部所属、入社3年目の若手。

 

真子曰く、未婚、彼氏募集中。

不動刑事


主人公の親友である不動みどりの夫。


石出生男の自殺現場に出動した刑事課員の1人。



最愛の妻、同じ署に勤務する警官のみどりが、

自分に隠れ、長年自宅に『クスリ』を保管、しかも、

所持だけではなく、使用していた事実を知った

彼は……。

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