第十章 ④
文字数 3,580文字
分かりました。
警察官の勘は当たっていて、やっぱり女性
でした。
……派手な真っ赤のドレス。
化粧の厚さ。
「水商売の人。
多分、客がストーカーみたいになっちゃった
って感じの事案かな?」と思いました。
座ってもらい、話を聞きだすと、
やはり読み通りで、客だった男がストーカー
のようになってしまい、怖がっている、
感じでした。
私は、つとめて、柔らかな雰囲気で、
彼女に質問しました。
このようなケース、このような相談者の
場合、雰囲気が一番大事です。
私は、彼女の前に座りながら思って
いました。
「やっぱり私が受けて正解だった。
係長とかが対応してたら、男だからって
警戒しゃって、話さなったかも……。
それに、今日何もしないで帰してたら、
もう絶対に、来なかっただろうな、
この人みたいなタイプは……」と。
咄嗟に係長に声をかけたことへの後悔は、
消えていました。
「もう私しかいないんだし、
女の私だからこそ話してくれることも
絶対ある。
この際、とことん、聞いてあげよう」
私は、そう決心しました。
……でも、こっちが出過ぎると、ダメです。
このようなケースで、そして、特に、
彼女のような仕事をしている女性達は、
詳しく訊き出そうとすると、警戒して
何も言わなくなってしまうことがある
んです。
だから、こっちからは、年齢も住所も、
職業もあえて訊かないことに決めています。
でも、名前だけは、訊きました。
そうでないと、「あなた」と呼ぶことに
なり、距離感がありますからね。
距離感あり過ぎ、それも問題です。
ある程度の距離も必要なんですが、
相手に対する親しみも必要。
それが安心感につながり、そして、どんどん
話してくれることにつながり、それが、
犯罪捜査に、そして、検挙にもつながるもの
なんです。
いかに、情報を多く語ってもらうかです、
本人に……。
これは、取り調べの時だけでなく、相談時の
重要なポイントでもあります。
まぁ、取り調べの時は、ガンガン攻めも
しますし、時には、“飴と鞭”が必要にもなり
ますけど。
とにかくです、話を戻します。
目の前に座る彼女は、私が名前を尋ねると、
一瞬躊躇いました。
すぐに、助け船を出しました。
「これは、相談ですから……。
別に、フルネームでなくても、苗字だけでも
大丈夫ですよ」と。
すると、彼女は、小さな声で、
「ヤギヌマです」と名乗ってくれました。
直感で分かりました。
「これ、本名だな。
でも、フルネームは言わないってことは、
警察を完全には信頼してないな」。
そう言う人が多いのです。
特に、彼女みたいな職業の女性は、
顕著……。
「でも……」と思いました。
そんな彼女が、警察に自分からやって来た
のだから、よほどのことなのです。
「かなり、追い詰められてるな」と私は、
感じました。
結局、その日、彼女は被害届とかを
出さずに、帰りました。
いいえ、私が、そう仕向けたのです。
彼女の話を聞きながら考えました。
「現在の法じゃ、逮捕まで時間がかかるし、
ムリだ」。
そうです、彼女のようなケースだと、
たとえ正式に届を出しても、警察は、
ほぼ何も出来ないのです。
歯がゆいですが、それが警察組織です。
そして、法律も完全じゃない。
そう、前々から、法律等が、不十分だと
思っていました。
そろそろ、都道府県単位で迷惑防止条例
とかが成立して、ストーカー行為じゃ
なくても、別件で検挙出来るように
なるのでしょうけれど、今はまだ、
ムリ……。
それに、もう一つ言えば、警察が
悪いわけでも、法律が悪いわけでもない
のです!
これは、警察官の私が言っても、
ただの言い訳のように聞こえるかも
しれませんが、悪いのは、
そのストーカー男です。
本当に多いのです。
そう、犯罪者が多いので、どこの警察署も、
今手一杯なんです!!
だから、ヤギヌマさんのケースだと、
どこの署で届を出しても、警察官が動き出す
ことはない、と言うより、
出来ないのです……。
悪いのは、怠慢な警察でなく犯罪組織、
犯罪者です。
とにかく、私は分かっていました。
今日、この阿佐ヶ谷中央署で彼女が被害届を
出したところで、本格的に動き出すことは、
ない、不可能だと……。
だから、思ったんです。
「警官としては問題ある行為になるけど、
個人的に、この人のために動いてあげたい」。
これは、考えるだけでも問題です、
警察官としては……。
職務規定、規律を無視することになるのです
から。
でも、目の前にいるヤギヌマさんからは、
何か今までに接して来た、そう言う女性達
とは違う雰囲気を感じました。
話を聞き出して、すぐに、
「好きでやってないな……。
こんなことがあったから、辞めるかもな、
今の仕事……」とも思いました。
実際、話の中で、彼女は、
「ここに来る前に、お店に電話して、
辞めたんです。
だから、今は無職です」と言い、
私をビックリさせました。
中々、高収入のこの仕事を辞めることは、
出来ません、普通だと……。
「本当に追い詰められているな。
何とかしてあげたい!!」と思いました。
つまり、係長や課長にいつも注意されている
「私情を入れるなよ、警察業務に!」に、
反してしまったのです、私は。
完全に、ヤギヌマさんに、私情を抱いて、
接してしまっていました。
それにです、「一つ終わったんだから……」と
言う思いもあったんです。
さっきも言いましたが、今日のお昼に、
ある事件の捜査が急展開を見せて、
被疑者確保に至ったのです!
「だから……」とも思えたのです。
「あっちの件が、ひとまず終わったと
言うか、もう、私の担当でなくなった
んだから、この人のこと、
今なら内密に、取り組んで
あげれるんじゃない?」と。
私は、ヤギヌマさんを見つめました。
キレイな唇、大きい目、染めている髪。
紅潮した頬。
真っ白な指と手。
……何か不思議な感じがしました。
初対面とは思えない、何か?
私は、さらに考えました、ヤギヌマさんの
話を聞きながら……。
この後、仮に、ヤギヌマさんに届を出させる
としたら……。
ヤギヌマさんには、明確な証拠をちゃんと
用意してもらわないといけない。
見せてもらったメールとかでは
不十分過ぎ……。
これまでのメールの大部分が削除されて
しまっているのが、惜しい……。
そして、証拠を確保し、色々な段階を経て、
長時間費やして、やっと警察が検挙……。
「ダメだ……」と思いましたね。
目の前のヤギヌマさん。
細い、普通の女性です。
「そんなに時間かかったら、この人は、
引っ越しとかを選ぶ……。
それじゃあ、その男のヤリ得だわ!
それだけは、許せない!!」。
正直、普段ならそこまで、
絶対に考えません。
考える余裕もなくもっと事務的な対応をする
はずです、私も、他の係員も。
でも、何か、目の前のヤギヌマさんには、
親近感と言うか、今までに感じたことない
感情を抱いてしまいます。
おそらく、長く追っていた一つの事件の
捜査が、99%終わったと言う
安堵なんでしょう。
でもですね、葛藤もありました。
自分が考えていることは、警察官として、
考えることすら問題の内容。
だから、必死に、自分の考えを否定する
理性。
しかし、それでも、理性以外の声も聞こえ
てきます。
その声はこう言うのです。
「葦田みどり。
あなたの持っている力で行きなさい。
そして、ヤギヌマを、その男の手から
助けてあげなさい。
葦田みどり、あなたを、ヤギヌマのために、
遣わす!」と。
私は、決めました。
男から追われている、この人を助けてあげる
ことこそ、あの事件の時、奥中真子を
助けれなかった、自分がなすべきこと。
阿佐ヶ谷中央署の不動みどりとして、また、
一個人の不動みどりとして、
正式な捜査活動の合間合間にはなるけど、
ヤギヌマさんを助け出すために、
出来ることは、やろう。
話が一通り終わって、
「じゃあ、今日は、被害届出さずに帰ります。
不動刑事に教わったようにやってみます」と
ヤギヌマさんは言ってくれました。
私が、一番、言ってほしかった言葉です。
私は、「こっちも、全力を尽くします」と、
ヤギヌマさんに約束しました。
私は名刺の代わりに、メモを渡すことに
しました。
私の携帯電話の番号を書いて……。
警察官としてではなく、どんなことでも
相談して良い、どんな時にでも連絡
して良い不動みどり……。
「絶対に、この私が何とかします!」と言う
無言の表明でした。
彼女が、気づいてくれたかは、
分かりませんが。
エレベーターホールに向かいながら、
彼女を安心させたいと思い、
「いつでも電話してくださいね。
もし、今後何かあったら、地域課に
連絡して、ヤギヌマさんの家の
周りの巡回を強化してもらうことも
できますから」と言いました。
でも、言い終えてから、内心、
「それは、難しいな」と思いまいした。
でも、それならそれで、自分が動けば
良いと、思いました。
同時に、「あっ!そうだ!
交通課の典子や由美に、駐禁対策の
ついでに、廻ってもらえるかも……」と
言う案も浮かびました……。
(著作権は、篠原元にあります)