第五章 ⑮
文字数 1,305文字
冬の雪の日。
自分にある、一番古い母との記憶……。
喘息の発作と高熱で苦しむ5歳の自分。
雪が降る夜道、母は背負って、
走ってくれた。
呼吸も苦しく意識も朦朧としていたけど、
母の背中の温かいぬくもり、
それと母の『言葉』は心の奥まで、
届いた。
「真子!大丈夫よ。すぐ、病院
つくからね!
絶対、楽になるからね!」と、
母は何度も言ってくれた。
保育園の父親参観の日。
何人かの男の子が、
「まこちゃんは、パパがいな~い!」
と、からかってきた。
幼心に、かなりショックだった。
自分だけ、さくら組の中で、
仲間はずれだと思って、その日は、
ずっと恥ずかしさと惨めさが、
小さな心を侵食していた。
夕方、迎えに来た、母の胸に、
泣きながら飛び込んだんだった。
保育園からかなり離れて、自分は、
いきなり立ち止った。
手を取って歩いていた母は、
驚いて歩を止めた。
ずっと訊きたかったことを尋ねた。
「ママ!何で、うちには、
パパがいないの!?
さくら組のみんなには、パパが、
ちゃんといるのに!!」と。
母は、ハッとして、そして、
黙ってギュッと抱きしめてくれた。
自分は、大声で泣き出した。
男の子たちにからかわれた
悔しさと怒り、何より、寂しさが
溢れてきて、大泣きした。
そんな自分をあの時、母は、しっかりと
抱きしめ続けてくれた。
「ごめんね。ごめんね」と言いながら…。
今思えば、母が謝る必要なんて、
全くなかったのに、これっぽちも……。
母との想い出は、尽きない…。
「お母さん。こんなに早く、急に、
いなくなっちゃうなんて……。
もっと、お母さんと話したかった。
もっと、お母さんと一緒に、
お料理したかった。もっと……」と、
真子は思った。
泣けて、泣けてしょうがない。
「お母さんに会いたい。
お母さんのところに行きたい!」と、
真子はフッと思った。
その瞬間、真子はハッと思い出す。
前の週の土曜日のこと。
母は言った。
「真子。あなたより私の方が、早く
いなくなるのよ。
でもね、あなたの記憶からは、私は
いなくならない。
一緒に食べたり、一緒に料理したりする
この時間の記憶はね……。
ねぇ、真子。
いつか子どもが産まれて女の子
だったら、こんな風に一緒に
料理したりしてあげてね。
女の子には、そんな時間が必要
なんだから……」
母は、優しい笑顔で、でも、真剣な
口調で自分に言ったんだった。
自分は恥ずかしくて、
「お母さん。何言ってんの!?
まだまだずっと後のことだよ……」と、
答えたけど、あれは母の遺言だった
のかもしれない……。
あの日、狭い台所で、二人で話した。
話しながら、母は、肉じゃがに、
味付けをしてた。
自分は、初めて、完全に一人で、
ポテトサラダに挑戦していたので、
ジャガイモをつぶしてた。
「今日は、ジャガイモばっかしだね。
お金持ちの人が見たら、きっと
ビックリするわね」と母は笑ったが、
自分は誇らしかったんだ。
母と仲良く二人で料理できることが……。
こんな母娘は、そうないと思った。
そっと母を見つめた。
料理をする母の横顔は、本当にキレイ
だった!
…でも、その母はもういない。
空のかなたに行ってしまったんだ。
奥中峯子は、40歳にならずして、
愛娘・真子をのこし、
突然逝ってしまった。
(著作権は、篠原元にあります)