第四章 ⑩
文字数 3,263文字
お分かりになっていただける
でしょうか?
私が、まこちゃんの腕を掴みさえ
しなければ、まこちゃんはあのまま
走って、無事に義時を振り切って、
女子トイレに駆け込めたのです!!
そうすれば、いくら義時でも女子トイレ
の中までは入れません。
だから、まこちゃんは助かって
いたのです!
実際、あの頃、男子も女子もみんなが
大好きなゲームが流行っていました。
うちのクラスでもみんなやっていました。
このゲームは男子も女子も一緒に
出来たのです。
だから、休み時間、よくやっていました。
鬼ごっことかくれんぼを足したような
遊びでした。男子も女子も本当は
やってはいけない卑怯な手でしたが、
ピンチになると男子トイレや
女子トイレに逃げ込むのです。
そうすると、追いかける役が男子なら
さすがに女子トイレには入れませんし、
追いかける役が女子なら男子トイレに
入れませんから、悔しい思いをして
追いかける役の子は他の獲物を探しに
行きざるえないのです。
そうです。私が、まこちゃんの腕を
掴まなければ、まこちゃんはあのまま
走って、無事に女子トイレの中に
駆けこみ、義時は女子トイレの前までは
行こうとも、そこで地団駄を
踏むしかできなかったのです。
そして、まこちゃんはトイレで用を
すますことができ、あのような惨事は
起こらなかったのです!
私は、後悔、自己嫌悪でいっぱいに
なりました。
私が、まこちゃんの腕を掴んで、
足止めしていなければ……!
まこちゃんは、男子が入れない、
女子にとって一番安全な場所である
女子トイレに逃げ切れていたのに!
義時が犯人ではなかったのです。
いえ、確かに彼も犯人かもしれない。
しかし、犯人はもう一人いたのです!
隠れた犯人が!
それが、私だった……。
あの時、まこちゃんが女子トイレに
入れていたのならば……。
用を済ませたまこちゃんは女子トイレ
から出て来て、
いつものように「あんた、最低!」と
義時に言って、それで終わっていたことで
しょう。
だから、その日も、私たちはいつも通り、
一緒に勉強し、一緒に給食を食べ、
一緒に帰り、その後もずっと私と
まこちゃんは大親友だったことでしょう。
でも、それを私が壊してしまった……。
私が あの日 まこちゃんの腕を
掴んでしまったことにより
全てが終わりました。
全てが崩壊しました。
実際問題、犯人は私だったのです。
まこちゃんの人生を破壊してしまった
のは私だった……。
ただ、私のしたことは、義時の存在で
完全にカモフラージュされてしまい、
みんなの目から、隠されてしまっていた
のです。
だから、誰からも責められは
しなかった。
だからこそ、私は、あの日以降、
自分への嫌気、そして後悔や悔しさに
憑りつかれてしまうのです。
「なんで、あの時、まこちゃんの
腕を……」と言う、堂々巡りで
終わりのない自問自答、後悔。
「なんで、あの日 私は廊下に
いたんだろう。教室にいれば…‥」
とか、考えてもどうしようもない
ことが頭に浮かびます。
また、「でも、義時も!あの男が、
まこちゃんを追いかけまわすような
ことをしていなければ、全部が
違っていたんだ!」とも思い、
義時に責任を転嫁しようとも
しました、必死に。
そう、ある意味、私は、自分が
100%の犯人だとも思えない
のです、今でも……。
今、私は職場の廊下を歩くだけで、
苦しいのです。
デジャブと言うのでしょうか?
「なんで、あの時!あの廊下で!」と。
心の中で、私はわめいています。
もちろん、声には出せません。
小学校の頃もそうでした。
私はクラスのみんなに
「違う。義時じゃないの。
私が犯人なの!」と告白する
勇気はありませんでした。
絶対に言えませんでした。
言えばスッキリするかもしれない
とは思っていましたが、
言ってしまったら大変なことに
なると言う恐怖がありました。
なので、教室では黙っていることが
多くなりました。
「義時が犯人だ!とんでもないね」
とも
「違う!実は、私……」とも
言えませんでしたし、言いたく
なかった。
そのうち、もうしゃべるのも
面倒くさくなってしまったのです。
何にもしゃべらないと決めると
楽でした。
義時のこともその他のことも
何にもしゃべらない。
だから、自分のことも
しゃべらないんだと……。
そうです。私は一人で閉じこもる
ようになってしまったのです。
自分の殻に閉じこもるように
なってしまいました。
みんなと仲良くしたり、
しゃべったり、遊んだりすることが
嫌になったのです。
そして、まこちゃんが、遊んだり、
みんなと仲良くすることが
できなくなってしまったのだから、
自分も同じようにすべきだとも
考えて、その状況を受け入れました。
徐々に徐々に暗く、孤独になって
行く私。
女子たちは、最初のうちは、
話しかけてきてくれました。
が、そっけなくする私に対して、
みんなも距離を置き出します。
淋しかったですが、
「これで良いんだ。これが私の
受けるべき罰なんだ」と自分に
言い聞かせました。
小3の最後の3月頃、
私は一人で学校に行き、
一人で教室に入り、
休み時間は一人図書室ですごし、
一人で下校するようになっていた
のです。
私の、女子たちと普通に遊び、
普通にしゃべる、そんな普通の
楽しい小学校生活はあの日 が
最後となったのです。
まこちゃんが学校から去るとともに、
そんな楽しい学校生活が私から
去って行きました。
あの日 から、私のそれまでの
小学生生活、友達との関係も
すべてが終わってしまいました。
まるで城壁が崩れるかのように、
一瞬にして。
中学、高校は、両親に無理を言って、
自宅から電車で片道1時間弱の
女子校にいかせてもらいました。
中高一貫校でした。
私は、中学受験を本気で頑張りました。
はっきり言って、小学校の同級生達と
一緒の学校に進みたくなかったのです。
同級生達の大方と一緒ならば、
いやでもあの日 のことを
思い出しますから。
また、この学校を見続けることに
なります、中学生になっても。
なぜなら、みんなが進むはずの
中学校と、この小学校は目と鼻の
先なのです。
もう、私はこの学校を見たくも
なかったのです。
強いて言えば、引っ越したかった。
どんなに遠くの学校に通っても、
この町には、同級生達がいる。
同級生達と会わずにはすまないのです、
この町にいるかぎり。
特に、義時。私の家の隣が義時の
家でした。
小さい頃は、嬉しいことだったのに、
その頃の私は、そのことが本当に
嫌でした。
義時には、毎日会うのです。
これからも、学校が違っても
会い続けるのかと絶望的でした。
だからと言って、
「ここに住むの嫌だ。引っ越して」
なんて、両親に言えません。
そんな無理なこと言えるわけ
ありません。
でも、後で気づいたのですが、
遠い学校に通う私と近所の学校に通う
義時達とでは、生活リズムが違うもの
ですね。
早く学校へと向かい、遅くなって
帰ってくる、そんな私。
自然と義時や同級生と会うことは、
ありませんでした。
いえ、滅多にありませんでしたと
いう言い方が適切です。
とにかく、そんな心理状態でした。
小学6年の頃の私は。
あの廊下を歩きたくなかった。
同級生を見たくもなかった。
私は早く、あの日 の現場を離れたい
一心で、急いで学校の門を出ました、
卒業式のあの日。
卒業の余韻に触れる余裕なんて
ありません。
真子ちゃんを苦しめてしまった
現場にいることが嫌だった。
真子ちゃんが苦しんだ場所に
長くいるのはもう嫌でした。
同級生たちをみると、特に義時や
生男を見ると嫌でした。
何を祝っているのか?
何を泣いているのか?
まこちゃんがいなくなったのに……。
自分の意思や気分に関係なく、
考えたくないときにも、
静かにしていたいときにも、
容赦なく私に押し迫ってくる。
嫌な気持ち、あの時の記憶……。
この学校にいる限り、それから
逃げることは出来ない。
それが辛かったのです。
この学校にはもう2度と来ない。
もう、2度とこの学校を
見たくない。
私は早足で両親と小学校を出ました。
そんな私。
努力の甲斐もあって無事、
中学受験をパスし、
志望校に入学することが
できたのです。
そして、相変わらず、その女子校、
愛泉女学院中等学校でも
私は一人ぼっちでした。
(著作権は、篠原元にあります)