第九章 ⑩
文字数 3,328文字
夜遅かったので、私たちは部屋の灯りは、
ほぼ消していたのです。
だから、私の異変、そう、体が震えていた
ことも、それと、汗をダラダラ流していた
ことも、しーちゃんは気づかなかったこと
でしょう。
多分、部屋が明るければ、しーちゃんは、
すぐに私の異変に気付いて、
「マコッち!?どうしたの、ガタガタ
震えてるじゃん!」と飛び上がっていた
はずです。
でも、彼女はそんな私に気づかずに、
ベッドに横になりながら話を続けました。
私も、ベッドに横になったまま、枕に顔を
押し付けて、必死に声が出るのを抑えて、
しーちゃんの話を聞いていました。
聞きたくなかったけれど、聞きたくも
あったのです!!
皆さん。
彼女は、あの日のことを話したのです!
彼女が、いすみ市立第一小学校の5年生で、
私が3年生だった時に起きてしまった、
あの『忌まわしい事件』のことを……!
彼女は、何度も「あの女の子」とか、
「おもらししちゃった、あの子」と言う
言い方で、あの頃の私のことを、
表現しました。
もちろん、彼女は、「あの女の子」が、
一緒に部屋にいる私だとは、全く想像も
していなかったはずです。
まさか、「あの女の子」が同じ部屋にいる、
柳沼真子だとはほんの少しも、
思っていなかったことでしょう。
「お漏らししちゃった、あの子」こそ、
隣のベッドで横になり、自分の話を聞いて
いる〔マコッち〕だとは、全然考えて
いなかったことでしょう、当然ですが…。
私は彼女が、私と同じいすみ市で、
育ったことをその時まで知りませんでした。
彼女は、千葉県の祖母の家で育ったとは
言っていましたが、いすみ市とまでは、
言っていませんでしたから。
そして、私も出身は、愛媛県松山市だと、
お店ではみんなに言っていましたし、
彼女に「実は、千葉のいすみ市で、
育ったんだ」とは言ったことがありません
でした。
だから、彼女にとって、私が、
「あの女の子」だとは、絶対に考えられない
ことなのです!
その夜まで、私たちは、お互いに、
知らなかったのです!
そう、私は知らなかったのです。
彼女も自分も同じいすみ市で育ち、
同じ学校に、同じ頃、通っていたことを…。
私は、あまりもの偶然、アンビリバボーな
展開に頭がひどく痛くなりました。
このまま、宇宙の大気圏に飛ばされて
行きたい、彼女の前から消えたいと、
本気で思いましたね。
そして、考えました。
「もしかして、これって嫌がらせなの?」。
彼女を本気で、疑いました。
もしかして、私が「あの女の子」だと
分かって、もしくは疑いながら、
こんな話をしているのか、と。
でも、彼女のしゃべり方で、分かります。
その可能性はゼロでした。
何より、彼女が、そんな人間でないこと
は、ずっと一緒にいた自分だからこそ、
分かるのです。
唯一の助けと言えば、部屋が暗かったこと。
そして、もう一つ、強いて言うならば、
優しい彼女が、私のことを、あの小3の
時の私のことを『おもらしした子~(笑)』と、
バカにはしていないことでした。
彼女の言葉の節々からそのことは、
ちゃんと分かりました。
彼女が、このことをしゃべっているのは、
ただ小学校の頃の衝撃的な思い出として
であって、決して、「あの女の子」、
つまり私をバカにしようとしてのこと
ではないと…。
実際、「あの女の子、可哀想だったなぁ。
本当、可哀想」とか「私があの女の子の
立場だったら立ち直れないかも……」と、
彼女は何度も言ってくれました。
そこに、私はある意味助けられました。
でも、動揺と目まいが、私を襲っていた
のは紛れもない事実です!!
今では、本当に思います。
彼女は、本当に立派でした。
普通なら、話しながら、少しぐらいは、
「おもらししちゃった、あの子」のことを
笑ったりもするでしょうけれど、彼女は
真剣に、「あの女の子」、つまり私に、
同情しながら話してくれていました。
「あの時さ、もうちょっと勇気があれば、
あの女の子に何か出来たのにさ……。
結局、何も出来なかった」とさえ言って
いました。
でも、そんな小さな助けより、
大きすぎるショックと驚愕!!!!
もう、私は逃げ出したかったです!
「しーちゃん。実は、その女の子って、
私なんだ」とか言えるわけありません!
「しーちゃん。聞いて。
実はね、そのお漏らしした子って、
私なの。
でも、もう大丈夫だよ。
昔のことだから、とっくに、踏ん切り
ついてるし……」とカミングアウトして、
「え~?マコッちだったの!?
信じらんない!
何、この偶然……」と彼女に言って
もらって、一件落着!?
そんなこと、当事者の私に出来るわけ
ないじゃないですか!!!
いえ、私だって、そういうシナリオを、
彼女がしゃべり続けている間、
震えながらも考えてみましたよ。
でも、結論は、「ダメだ。言えない……」
でした。
皆さん。
お分かりになっていただけますか?
あの時の私の絶望、混乱、恐れ……、
その他言いようもない感情の渦の数々。
何と言うことでしょう!!
姉のように慕って来た長谷島志与は、
私の『闇歴史』を知っている…、
そればかりか、なんと、あの事件を
目の前で見ていた、そんな人物だった
のです!!
もちろん私は、あの時、上級生の彼女に
見られていたことなんて知りませんでした。
と言うより、彼女と自分が、同じ小学校に
通っていたことすら知らなかったのです、
いや彼女自体を。
彼女は、「あの女の子」と私が、
同一人物だとは気づいていないよう…。
でも、彼女は、あの事件も、あの事件の
被害者である私のことをも、
まだ憶えているのです!
私は、計算しました。
「もう十年以上も余裕に
経ってるのに……」。
ショックでした。
頭を強く殴られた感じでした。
あの日 の私の屈辱的体験、あの事件は、
いまだに、誰かの、記憶の中に、
残っている…!!!!
私自身忘れたいけれど、忘れることが
出来ず、絶えず追われているあの事件…、
あの出来事が、まだ『第三者の記憶』から
も消えていない!!
そのことが、分かりました。
もう、本当に、消えてしまいたい思いで
いっぱいになりましたね。
恥ずかしかった。
惨めだった。
私は、思いました。
「今もどこかで、こことは別の場所で、
誰かが誰かに、あの時の私のこと、
話しているかも……」と。
それと「あの時の同級生や上級生や
下級生、それから先生たちは、あの日の
ことを、まだ憶えているんだ!!
この、私のことも!」とも。
どこかで、この瞬間、私のことが実名で、
「あのさぁ、同じクラスだった、真子
って女子がね……」とか
「同級生だった奥中と言う女がさ……」
と言う感じで語られている……、
そう思うと、ゾっとしました。
一生、こんな酷い運命に追われ続ける
のだと、絶望感で、いっぱいになり
ました。
一生、『学校の廊下で、皆の前で、
おもらしした女子』として皆の記憶に
残り、話しのネタにされると言う、
最悪の運命がです!
だって、その証拠が、目の前にいるの
ですから!
すぐ横のベッドで、長谷島志与が、
あの時の事件のことを、「あの女の子」
が私だとは知らずに話しているのです!
そして、聞いて、分かります!
同級生でなかった彼女ですら、
あの事件のことをうろ覚えではなく、
ちゃんと、かなり鮮明に憶えている
のです!同級生はどれ位?
もう何かをする気力も、なくなり
かけていました。
今さら逃げても、死んでも、
皆の記憶から私の『汚名』が、
消し去られることはないのです!
私は、本当に思い知りました。
案外、人は、他人のことを憶えている
ものだと。
だって、隣のベッドに横になっている
長谷島志与は、自分のことでないのに、
しかも下級生だった私の事件を、
10数年経っているのに、
しっかりと憶えているのですから!
あの事件の記憶は、ずっと私から
消えずに、そして、私を追いかけまわす。
しかも、あの忌まわしい事件の記憶は、
私が、たとえ死んだとしても、それで
終わりにはならずに、あの事件のこと
を知っている人たちが、えんえんと
語り続ける……のです。
何と言う悲惨な運命、何と言う恥辱!!
あの事件に、ずっと追いかけまわされる
我が人生の悲運と苦悩…。
私は、正直、自分の生れてきた日、
自分の誕生日を、呪いましたよ。
「生れた瞬間に死んでれば良かった。
死んでたら、こんな運命に、
遭わないですんだのに!」と、
本気で思いました…。
(著作権は、篠原元にあります)