第十四章 ㉕
文字数 1,474文字
義時と真子は、寒い冬空の下、待ち合わて
いた。
義時が、隣を歩く真子の顔を見ると、
青ざめて見えた…、いや、青ざめている。
寒さのせいではない……のが、分かって
いる。
義時は、口には出さずに、思った。
「当然だよな……。
ってか、俺なら……、と言うより、普通は
わざわざ行かないだろう」。
義時は、真子から聞いていた。
屋山夫妻のこと、そして、真子と定美の
電話のやりとりのこと……を。
正直、自分の意見は、「いや、別に、
そこまでしないでも良いだろう」だ。
自分がその立場でないから、何とも
言えないが、普通なら……と言えば、
みんな行かないはず、なのだ。
だが、真子の決心は堅いようだった。
すごいなぁ、と感心する。
この人は、女性だけど、俺より強いなぁ
と心底思った。
だから、義時は、反対意見も否定的な
ことも一切言わなかった。
ただ自分は、愛する人と、一緒に、
行くだけだ……。
そして、その日。
真子と義時は、川崎市内某地区にある
屋山夫妻が経営しているスーパーの店先に
立った。
真子は、店内を覗いた。
いや、覗かずとも分かる。
店の外も、昔のように、自転車がズラッと
並んでいる。
「あの頃と同じで、大繁盛だなぁ」と、
思った。
しばらく、店の前で、立ち尽くしていた
真子と、その後ろに立つ義時。
真子は、寒さにブルっと震えた。
そして、はぁと息を吐いて、後ろを
向いて、言った。
「ゴメンね。待たせてて……。
じゃあ、行くね!」。
自分を奮い立たせるためにも、声を出した
のだ。
義時と真子は、【ライフ泉・川崎本店】の
店内に足を踏み入れた。
真子が、前を行く。
懐かしい店内だ。
何年かぶりだが、身体は店内の構造を、
ちゃんと記憶している。
歩きながら、「人間の記憶力ってスゴイ
なぁ」と他人事のように、真子は考えて
いた。
でも、足取りは重いのだ……。
そして、遂に……!
店内の奥の奥にある、事務室の前に、
辿り着いてしまった……。
事務室の前で、真子はスーと息を吸う。
月曜日のこの時間。
社長は、絶対に、いる。
そして、社長といつも一緒の社長夫人も
いるはず。
この中に入ったら……。
「どんな反応が待っているんだろう?」
「『帰ってくれ!』って怒鳴られるかも」
と思い、足が震える。
後ろにいる婚約者の存在がなければ、
回れ右するな私……。
そして、真子は……。
ドアをノックした。
はたして、中からは、懐かしい声が
聞こえて来た。
「はーい。どうぞぉ」。
優しい社長夫人の声だった。
懐かしさが一気に溢れ出す。
真子は、懐かしい、事務室に入った。
すぐに、目に飛び込んで来たのは、こっち
に背を向けて、応接用ソファーに座り
ながら、誰かと話している社長。
そして、奥のデスクでパソコンを操作して
いる社長夫人。
…真子の後から、義時も、「失礼します」
と入って来た。
真子と義時が、並ぶ。
「どうしたの。何かあった?」と言いながら
社長夫人が顔を上げた。
そして、固まる。
しばらく、社長夫人の動きが止まった。
事務室の中は静寂……、ではなく、社長の
話し声だけが響く。
数秒後、社長夫人の唇が動いた。
「えっ?もしかして……。
あなた、昔、働いてくれていた、
柳沼さん?」。
真子は、心底、驚いた。
信じられない。
まだ、名乗れてもいなかったのに。
まだ、声すら出せていなかったのに。
「何で、私だって、分かったの?
ずっとずっと会ってなかったのに!」。
驚きで立ち尽くし、答えすらできない
真子に、社長夫人が駆け寄る。
「柳沼さんよね!?
そうでしょ?
あなた、住み込みで働いてくれてた、
愛媛の柳沼さんね!?」。
真子は、溢れ出す涙が頬をつたっていく
顔で、大きく頷いた。
(著作権は、篠原元にあります)