第五章 ④

文字数 3,703文字

そんな真子にとって、日曜日が、
最高の楽しみだった。
母の仕事が休みで、朝からずっと一緒
だから。
この日は、カーテンをちゃんと開けて、
母との会話を楽しめる。
いつもは、母が来るまで、カーテンを
ピシッと閉めて、一人で涙を流し、
寂しさに耐えていた。

平日……、真子は、夕方のいつもの
時間帯まで、母の来るのを首を長くして
待った。
母の顔と母の匂いが恋しくて恋しくて、
母が部屋に入ってくるなり、抱きつく。
母もギュッと真子を抱きしめてくれた。
だが、突然流れ出す、面会時間終了の
メロディ……。
真子は、このメロディが、大嫌いに
なった。


母が帰ると、真子は、すぐに布団の中に
潜り込み、シクシク泣いていた。
母と一緒に寝たかった。


母も、寒い夜空を歩きながら、
必死に涙をこらえた。
やっぱり、愛娘と一緒にいたい!
「もう手術も終わったのだから、
無理言って、退院させてあげたい!」
とも思った。
でも、伯母に相談したところ、
一喝された。
「今は、ちゃんとしっかり入院させて、
検査やカウンセリングとかを、
ちゃんと受けさせないと!
あなたがしっかりせんで、
どうするの?!
今はね、あなたも真子ちゃんも
強くなれるチャンスなんよ」と。



さて、入院生活中、真子に楽しみが
あった。
手術をしてくれた担当医は、いつも面白い
ことを言って笑わせてくれる、美人の
沙織先生だった。
28歳の沙織先生は、毎朝、真子のところ
に来てくれた。
土曜日でも日曜日でも……、年末年始の数日
を除いては、それこそ毎朝。


いつも笑顔で、「真子ちゃん。おはよう。
どんどん良くなってるわね。良い顔色ね」
と言って真子をじっと見つめてくれる。
真子は、先生のこの眼差しが、大好き
だった。
あと、先生の『いつものセリフ』で
元気がつく。


母とは違う優しさを感じて、何か
甘酸っぱい気持ちだった。
真子は、沙織先生には甘えた。
そんな真子を見て、看護師たちも
微笑んでいた。



土曜日でも、それに、日曜日にも、部屋に
来てくれる沙織先生のことが、
大好きな真子は、思った。
「サオリ先生、いつ休むんだろう?」と。
ある日、訊いてみた。
すると、沙織先生は、
「真子ちゃん。大丈夫よ。ちゃんと、
先生も休む時は、ぐっすり休んでるからね。
心配してくれて、ありがと。
真子ちゃんも、今は、ここで、
しっかり休んで、お薬飲んで、検査もして、
元気になってね……。
先生ね、真子ちゃんが、どんどん良く
なっているの見るのが嬉しくて、
毎日来ちゃうのよ。
だから、真子ちゃん、どんどん
良くなってね。先生も頑張るから!」と
言って、ニコッと笑ってくれた。
そして、真子と沙織先生は、
指切りげんまんをした。
一瞬、みどりのことをハッと思い出したが、
真子はすぐに目をつぶった。
そして、先生を見た。
先生の美しい顔が、真子を見守って
くれていた。



正月明けには、おばさん、愛媛の
雪子おばさんから、歴史の偉人伝
コミックとお年玉が届いた。
母が持ってきてくれた。



学校に行けていない真子を思いやって、
少しでも勉強になればと考えた、
大伯母からのプレゼントだった。
入院中で、時間のあった真子は、
何度も何度も読んだ。
そのうちに、歴史が好きになった。
母が驚くほど、歴史に詳しくなっていった。
母は、戦国武将や江戸時代の将軍の
話しを目を輝かせて語る娘を見て、
感無量だった。
こんな娘の表情は久しぶり。
娘の回復の兆しを見た母は、娘に院内学級を
勧めてみた。
三心記念病院は、そんなに大きい病院では
なかったけれど、院内学級があったから。


沙織先生にも言われたので、真子は一度、
院内学級に行ってみた。
でも、真子はすぐに病室に戻った。
真子にとって、同年齢の子と一緒にいること
は苦しいことだった。
あの事件のことが、フラッシュバック
してくる。
あの事件の時、周りに、クラスメイトが
いっぱいいた。みんな、見ていた。
同年代の子たちに囲まれ、見つめられると、
怖くなるんだ。
あの事件のことを思い出して……。


そして、退院の日まで、真子は、
院内学級には行かなかった。
ベッドで、おばさんからのコミックや
大好きな本を読んで過ごした。
その方が、院内学級に行くより、百倍も
真子にとっては気楽だった。
だから、真子は、母に頼んで
お年玉―母やおばさんからの―で、
歴史の本や漫画を買ってきてもらった。


ちなみに、母からのお年玉もおばさんからの
お年玉も前より増えていた。
でも、大喜びする気にはなれなかった。
正直、気力も体力もなかった。
出血が怖くて…。


ベッドの上で
「何を買えば良いんだろう」と考えた。
今までは、お年玉をもらうと、パッと、
デパートや近所のおもちゃ屋さんに
向かった。
もう、12月は、ずっとお年玉の使い道を
考えていた。

前の年は、お年玉で、ジャンバーや、
新しい鉛筆箱、きれいな文房具とかを
買って、学校で自慢した。
それと女子に人気の漫画や絵本を買って、
みんなに貸してあげた。
みんなが喜ぶ顔を見て、真子も嬉しかった。
これが、真子流のお年玉の使い方だった。
だが、あの事件はその数か月後に起こった。

学校に行けない、今の自分にとって、
学校に来て行くためのジャンバーも、
ピンク色で子熊の絵柄のかわいい鉛筆箱も、
クラスの女子みんなが好きな漫画も
いらない。

だから、真子は、母にお年玉を全部渡して、
「歴史の漫画いっぱい買ってきて」と
頼んだ。
母は、嬉しい反面、ちょっと悲しかった。



そんな入院生活を終え、退院した真子。
同室の子ともあまり仲良くなれなかった。
ひっそりと退院する真子を見送って
くれたのは、看護師達だけだった。

久しぶりに、母と手をつなぎ、外を歩く
真子。
外の風は、思った以上に冷たかった。
母は、娘の身体が冷えることが心配で、
駅からはタクシーを拾った。


……母は真子が入院中、色々と考え、
また伯母と相談し、あることを決意して、
手続きや準備を進めていた。

そう、学校に行けずに、家に引きこもる
ようになってしまい、入院している娘の
ために母は真剣に考えて、一つの決断を
していたのだった、伯母と相談して。
―伯母とは、真子の誕生日の5月1日には、
毎年、それと夏休み中と年末にも、
プレゼントを送ってくれる、真子の大好きな、
雪子おばさんである―

そして、母と伯母は話し合い、相談し、
決めた。
真子のためにも、このいすみ市を離れて、
自然豊かな環境で、新しく暮らし出す
ことを。
周りに知っている子がいれば、
真子も家から出辛いだろう。
でも、誰も知った子がいない、
離れた土地なら自由に外出し、
自然に触れ、のびのびと過ごし、
少しづつでも回復していくだろうと。



当初、母と伯母は、伯母の住む
松山市にと、考えていたが、やはり母は、
伯母に完全に依存したくなかった。
そして、最終的に、伯母が紹介してくれた
奈良県の小さな町にある、小さな郵便局で、
働かせてもらいながら生活する道を選んだ。


雪子の知り合いが局長をしている郵便局が
ある緑と川に囲まれた小さな町。
そこが、真子が新しく生きる場所と
決まった。



そのために、母は娘の入院中、忙しかった。
そして、娘の退院の前日にスーパーの仕事
をやめ、
母と娘は退院後数日で、奈良に向かって
旅立った。




退院したその日、家に向かうタクシーの中で
「引っ越すわよ。奈良県のすごく自然が
きれいな町に行って、そこで住むの」と
聞いた、真子は一瞬かたまった。
意味が分からなかった。
まず、奈良県が、どこにあるのかも、
分からない。
でも、嬉しそうな顔をしながら、その奈良県
の魅力を語る母を見ながら、
「嬉しそう。アタシも奈良県ってところ
に行ったら、楽しくなるかも」と思った。


このいすみ市や義時や生男から離れることが
できるんだから、スゴイ良いことだ、と
思った。
だが、一瞬、フッとあのみどりの顔が
浮かんだ。
「みどりちゃんとは会いたいな。
会って、お別れしてから、奈良に行きたい
なぁ」と思った。

だが、結局、真子はみどりに会えないまま
奈良に向かった。
みどりに会いに行く勇気が、
足りなかった。



奥中親子は、奈良県に移り住んだ。
ある意味、奥中親子はめぐまれていた。
引っ越す費用や新しい仕事等が、ちゃんと
あるのだから。

ちなみに、奥中親子は、経済的に困窮しては
いなかった。
もちろん、母は朝早くから夕方近くまで、
週6日必死に働いていた、娘のために。
だが、それだけでは親子が食べるだけで、
精一杯なはずである、普通は。


だが、奥中親子は世に言う母子家庭とは、
違う余裕があった。
ここで一つ言えることは、奥中峯子の伯母
である雪子からの経済的支援があること
である。
真子へのプレゼントだけではなく、
毎月、雪子は唯一の身寄りである峯子に、
送金してくれていた。
その送金に、どんなに峯子が助けられていた
ことか……。


さて、奥中親子は、引っ越した先の、
山と山に囲まれ、清流のようなキレイな
川が流れる町が、その日のうちに、
大好きになった。
いすみ市は、海だった。
だが、こっちは、川と山。
真子は、「海も良いけど、山と川も良いね」
と思った。
こっちに来て良かった……。
母も子も、そう思った。


真子は、新居のアパートの前で、
はるか高くを飛んでいるトンビを
見上げながら、
「すごいなぁ。こんなにキレイな空や
あの鳥。
神様って、絶対いるなぁ」と、
なんとなく思った。





(著作権は、篠原元にあります)

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登場人物紹介


奥中(おくなか) 真子(まこ)のちに(養子縁組により)(やぎ)(ぬま) 真子のちに(結婚により)栄真子




 本書の主人公。小学校3年生のあの日 、学校のクラスメートや上級生、下級生の見ている前で、屈辱的な体験をしてしまう。その後不登校に。その記憶に苛まれながら過ごすことになる。青春時代は、母の想像を絶する黒歴史、苦悩を引継いでしまうことなる、悲しみ多き女性である。





(あし)() みどり



本書の主人公、真子の小学校時代のクラスメートであり、大親友。



しかし、小学校3年生のあの日 、学校の廊下を走る真子の足止めをし、真子が屈辱的な体験を味わうきっかけをつくってしまう。



その後、真子との関係は断絶する。










(よし)(とき)



本書の主人公、真子の小学校時代のクラスメート。葦田みどりの幼馴染。



小学校3年生のあの日 、学校の廊下で真子に屈辱的な体験をさせる張本人。











奥中(おくなか) 峯子(みねこ)



本書の主人公、真子の母。スーパーや郵便局で働きながら、女手ひとつで真子を育てる。誰にも言えない悲しみと痛みの歴史がある。








雪子(ゆきこ)



本書の主人公、真子の大伯母であり、真子の母奥中峯子の伯母。


愛媛県松山市在住。







銀髪で左目に眼帯をした男



本書の主人公、真子が学校の廊下で屈辱的な体験をするあの日 、真子たちの



住む町で交通事故死した身元不明の謎の男性。



所持品は腕時計、小銭、数枚の写真。










定美(さだみ)(通称『サダミン』)



本書の主人公、真子が初めて就職したスーパーの先輩。



優しく、世話好き。



だが、真子は「ウザ」と言うあだ名をつける。









不動刑事



本書の主人公、真子が身の危険を感じ、警察署に駆け込んだ際に、対応してくれた女刑事。



正義感に溢れ、真面目で、これと決めたら周囲を気にせず駆け抜けるタイプである。



あだ名は、『不動産』。警視庁阿佐ヶ谷中央警察署生活安全課巡査部長。
















平戸



本書の主人公、真子につきまとう男。



また、真子の母の人生にも大きく関わっていた。






愛川のり子



子役モデル出身の国民的大女優。



〔あいのん〕の愛称で、幅広い世代から人気。



映画、テレビ、雑誌などで大活躍中。







石出(いしで) 生男(いくお)



本書の主人公、真子の小学校時代のクラスメートであり、幼馴染。小学校3年生のあの日 、真子を裏切る。




(やぎ)(ぬま) 真子のちに(結婚により)(さかえ) 真子



 本書の主人公。旧姓は、奥中。



小学校3年生の時、学校中の見ている前で屈辱的体験をし、不登校に。



その後は、まさに人生は転落、夜の世界へと流れていく。



だが、22歳の時小学時代の同級生二人と再会し、和解。回復への一歩を歩みだす。

(さかえ)(よし)(とき)



本書の主人公、真子が小学校3年生の時、屈辱的体験をさせた張本人。



そして、真子が22歳の時、男に追われているところを助けた人物でもある。



その後、真子の人生に大きく関わり、味方、何より人生の伴侶となる。

柳沼雪子



本書の主人公、真子の大伯母。養子縁組により、真子の母となる。



夫は眼科医であったが、すでに他界。愛媛県松山市で一人暮らしをする愛の女性である。

定美(さだみ)(通称・『サダミン』)



本書の主人公、真子が大事にしているキーホルダーをプレゼントしてくれた女性。



真子が川崎市を飛び出して来てから長いこと音信不通だったが、思いもしないきっかけで、真子と再会することになる。

不動みどり



本書の主人公、真子が小学校3年生の時、屈辱的体験をするきっかけを作ってしまう。



そして、真子が22歳の時、再会。つきまとい行為を続ける男から真子を助ける。



旧姓は、葦田。警視庁阿佐ヶ谷中央警察署生活安全課・巡査部長。

都和(とわ)



明慈大学理工学部で学んでいた女性。DVによる妊娠、恋人の自殺、大学中退……と、真子のように転落人生を歩みかけるが、寸前を真子に助けられる。

愛川のり子



〔あいのん〕の愛称で、幅広い世代から人気。



映画、テレビ、雑誌、海外でのドラマ出演など活躍の場を広げる国民的大女優である一方、息子の『いじめ報道』に心を痛め、また後悔する母親。



本名は、哀川憲子。

()(おり)



結婚した真子の義姉となる女性。



真子との初対面時は、性格上、真子を嫌っていたが、



後には、真子と大の仲良し、何でも言い合える仲になる。



名家の出身。



 

石出(いしで) 生男(いくお)



本書の主人公、真子を裏切った人物。



真子が小学時代の同級生二人と再会し、和解した夜に自殺。



第二巻では、彼の娘の名前が明かされる。

新名 志与


旧姓、長谷島。

第一章では、主人公に、『しーちゃん』と呼ばれている。

夜の世界で働いていた真子にとって、唯一の親友と

呼べる存在、姉的存在だった…。


ある出来事をきっかけに、真子と再会する(第二章)


小羽


 真子の中学生時代(奈良校)の同級生だったが…。


第二章で登場する時には、医療従事者になっている。

居村


 義時と真子が結婚式を挙げるホテルの担当者。

ブライダル事業部所属、入社3年目の若手。

 

真子曰く、未婚、彼氏募集中。

不動刑事


主人公の親友である不動みどりの夫。


石出生男の自殺現場に出動した刑事課員の1人。



最愛の妻、同じ署に勤務する警官のみどりが、

自分に隠れ、長年自宅に『クスリ』を保管、しかも、

所持だけではなく、使用していた事実を知った

彼は……。

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