第五章 ⑤

文字数 3,889文字

真子は、家の周りを歩いてみた。
おじいさん、おばあさんが、
畑仕事をしていた。
そんなおじいさんたちを見て、
源六じーさんのことを、フッと
思い出した。

いすみ市のアパートを引き払い、
鍵を返す時、アパートの大家さんの
関田源六じーさんが、泣いた。
この源六じーさんは、真子のことを、
可愛がってくれた。
小さい頃はお年玉もくれた。だけど、
ある年から急にくれなくなった。
実は、そのことが真子には不満だった。
お正月、「昔は、くれたのに!」と
よく思い、母に小言を言った。
母は、微笑みながら「いいじゃない。
その分、雪子おばさんからの
お年玉が増えたでしょ」と言った。


近所でも有名な『怖いじいさん』だった。
真子がいたずらをしていたり、
外で真子が峯子の言うことを聞かずに
わがままを言っているのを見ると、
遠慮なく叱ってくるような人だった。
だから、真子にとっては、親しみを
感じない、ただの怖い存在になって
いた。





その、源六じーさんにお別れの挨拶を
しに行くことになった。
真子は、行きたくなかった。
だが、母は、「ダメよ。これで最後
なんだから、ちゃんと挨拶しなさい。
一緒に行くのよ!」と言う。
真子は、イヤイヤ母に着いて行った。


そして、母と一緒に、お別れの挨拶を
した時、源六じーさんが泣いた。
「峯子さんと真子ちゃんがいなくなって、
寂しくなるなぁ」と言って。
ぽろっと泣いた。
真子は、源六じーさんが涙を流すのを
見て、心底驚いた。
こんな『怖いじいさん』でも泣くんだと。


そして、源六じーさんは、帰り際、
母に封筒を渡した。
そして、真子にも白い小さな封筒を
渡してくれた。
「あとで見るんだよ、中身は。
あっちに行くまでの足しにしんさい」と、
源六じーさんは言った。
歩きながら、真子はその封筒の中身を
見てみた。
驚いた。
千円札が5枚入っていた。
横を歩く母が言った。
「良かったわね。お小遣いをくれたのね」
と。
真子は、足を止めて、後ろを振り返る。
源六じーさんが立っていた。
真子は、大きな声で
「ありがとう!元気でね!」と
叫んだ。そして、手を振った。
源六じーさんも手を大きく振ってくれた。
「良い人だったんだ。実は、
優しい人だったんだ」と真子は思った。






その源六じーさんのことを、畑仕事している
おじいさんたちを見て、思い出せた。
今までは、そんなことはなかったのに、
急に会いたくなった。
「また、会いたいな。会って、
お礼を言って、肩叩いてあげよう。
このトンビのことも話してあげよう」と
今までにない感情を抱く真子だった。






さて、峯子は、新居の引っ越し作業を終え、
すぐに次の日から、郵便局で働き出した。
伯母の雪子の知人が局長をしている、
この町で唯一の小さな郵便局。
そこで、母は、朝から夕方まで土日以外
毎日働いた。


真子は、まだ学校に行く気にはなれ
なかったけど、母と、近所の学校を観に行く
ことはできた。
母の思い通り、自然豊かで、誰も知っている
子のいない町で、真子はのびのびと過ごし、
外出し、確実に良くなっていた、
心身ともに。

それに、いすみ市でのように、家の中で
テレビをずっと見るようなことはせずに、
どんどん外に出て行き、川の美しさに
みとれ、誰もいない山道を、後ろを何度も
振り返りながら歩いた…。
山の中腹のある場所が、好きになった。
そこで太陽を眺め、気持ちいい風に
吹かれる。
真子は、徐々に癒されていく。



峯子は時々、郵便局の先輩を家に連れて
きた。
母と同い年の早乙女さんは、眼鏡をかけ、
物静かで、温かい雰囲気の人だった。
優しくて、頭も良くて、真子は、
早乙女さんが大好きになった。
また、25歳の益田さんも時々来てくれた。
色白の美人で、いつも良い香りがした。
益田さんは、来る時はいつも手作りの
クッキーやパウンドケーキを持ってきて
くれたので、真子は、益田さんが来るのを
楽しみに待つようになった。

早乙女さんは、真子に、きれいな切手を
持って来てくれた。
そのおかげで、真子は切手収集が
趣味になった。
真子は、母の郵便局で切手を買う。
そして、町に一軒しかない文房具屋さんで
買ったアルバムにいれて、しげしげと
眺めるのだった、切手を。

そんな真子を早乙女さんが一番喜んだ。
そして、珍しい切手をくれたり、
外国の切手もいっぱいくれた。
英語がペラペラで外国にも住んでいたと
言う早乙女さんのことを真子は尊敬した。
早乙女さんにもらった美しい外国の
切手を眺めながら真子は時間を忘れた。
そして、切手に描かれている公園や
お城に、いつか大人になったら
行きたいなぁ、と思うのであった。


そのうち真子は、切手を買いに行く時以外
にも母の郵便局の前まで行くようになった。
母や早乙女さん、益田さんが働いている
西足瀬郵便局。
家から歩いて15分位かかる。
でも、真子は母たちの働いている姿を
見たかった。
「私もいつか郵便局で働きたいな」とも
思った。
益田さんが、真子に気づいて、にこっと
笑顔で手を振ってくれることがあり、
それが何とも言えず嬉しかった。

峯子も、そんな娘の姿が嬉しかった。
自由に外出し、笑っている真子の姿が、
本当に喜ばしかった。
峯子は、「奈良へ来て良かった。
伯母さんの言う通りだったわ」とつくづく
感じた。





さて、奥中親子の新居について少々。
奥中親子の新居は、2階建てのアパートの
1室。
小池荘は、1階に2部屋、2階にも2部屋の
小さな木造アパート。
1階に老夫婦が住み、隣は空室だった。
2階の2号室に住むことになった真子たち。
隣には、丸瀬さんと言う3人家族が住んで
いた。
お父さんは、その町唯一の老人ホームで
働いていて、写真撮影が趣味で、
モノマネが上手な人だった。
よく真子を笑わせてくれた。
お母さんは、元気な人で、いつも
「真子ちゃん!今日も可愛いわね!!」と
大きな声で言うような人…。
真子は、恥ずかしかったが、嫌じゃ
なかった。
峯子が「あのお母さんね、腹話術が
できるんだって。
今度、見せてもらいましょ」と教えて
くれた。真子も見てみたいと思ってたが、
当初はなかなか見せてもらう機会が
なかった。
そして、娘。
真子より三つ下で、やよいちゃんという子。
ギターが得意な子らしかった……。
と言うのも、あまり、やよいちゃんとは
会わなかった。
だけど、ギターの音が壁から聞こえてきた。
そう、真子が避けていた。
彼女と会うのを。
年齢の近い子とは、会いたくなかった。
だから、避けていた。


でも、真子が、母たちの郵便局へ
ちょくちょく行くようになった頃、
丸瀬家のお母さんと峯子が仲良くなった。
それまでも挨拶や町会の連絡等はしてたが、
ある日、丸瀬家ですき焼きをしようと言う
ときに、卵が切れていたらしかった。
それで、お母さんが峯子の所に卵を借りに
来た。
卵をあげた翌日、お母さんが、お礼にと
手作りの肉団子を持って来てくれた。
その日から、仲良くなった丸瀬沙奈枝と
奥中峯子。



母親同士が仲良くなったので、最初に、
やよいちゃんの方が、ある日、
真子たちの部屋にやって来た。
一瞬、緊張する真子。
固まりそうになる。
でも、やよいちゃんは、ニコニコして
いる。
お父さん似のやよいちゃんは、明るく
話しかけてくれて、お母さんの手作り
プリンを差し出してくれた。
真子とやよいちゃんは一緒にプリンを
食べ、オセロをしたり、お絵かきをした。
やよいちゃんが帰った時、真子は
ホッとした。
「一緒に遊べたんだ、私……」と
思った。
そして、正直に「また遊びたいな、
やよいちゃんと」と思えた。


「やよいちゃんってスゴイ面白いの!
やよいちゃん、また来てくれるって!
今度は、ゲームも持って来てくれるの!」と
笑顔で言う真子を食卓で見つめながら、
峯子は嬉しかった…。
飛び上がるほど嬉しかった。
そっと、トイレに行き、涙をぬぐった。





いつのまにか、やよいちゃんと真子は
お互いの家を行き来する仲になっていた。
やよいちゃんの部屋には、ギターが
あった。それから、CDもいっぱい
あって、やよいちゃんは真子に
聞かせてくれた。
CD、そしてギターの演奏も。
真子は、久しぶりの、年齢の近い子との
交友を楽しんだ。
やよいとの時間が楽しみだった。
まさに、水に戻れた魚のように。
真子も、本当は、遊び相手を求めて
いたのだ。だが、勇気がなかった。


やよいちゃんと真子は、やよいちゃんが
学校から帰ってくると一緒に遊ぶように
なる。毎日ではないけれど…。
お互いの部屋を行き来し、夕食時まで
遊んだ。
時に、真子は丸瀬家で夕食に与り、
ある日は、やよいちゃんが奥中家の食卓で
一緒に食事をすることもあった。
真子は、やよいちゃんとの時間が、
心からの楽しみになった。
やよいちゃんには、心を許せるように
なった。
やよいちゃんの帰りを、首を長くして
待つようになっていた。

でも、やよいちゃんは、学校で音楽クラブに
入っていたからその日は遊べなかったし、
時には、他の友達と約束がある日もあった。
だから、毎日は、遊べなかった。
やよいちゃんが、「今日ね、
学校の女の子たちと、出かけるの。
真子ちゃんも一緒にいかない?」と
誘ってくれることもあったが、
それは真子が断った。
他の子たちと会うのは、まだ怖かった。





それでも、やよいちゃんは、
誰とも約束をせずに、学校から
真っすぐ帰って来て、真子と一緒に
時間を過ごしてくれるのだった、
ほぼ毎日。


やよいちゃんの可愛らしい笑顔と
裏表のない性格が、真子は好きだった。
どっちかと言えば気性が激しく、
ハッキリと感情表現をする、
やよいちゃんは、真子とどことなく
似ていた。
だから、二人は惹かれ合っていく。
やよいちゃんと出会い、一緒に過ごせる
時間が増えていき、真子は
さらに明るくなる。
…義時、生男のことで、
感情が彷徨う、暗闇の時間は、
徐々に減っていくのだった…。






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登場人物紹介


奥中(おくなか) 真子(まこ)のちに(養子縁組により)(やぎ)(ぬま) 真子のちに(結婚により)栄真子




 本書の主人公。小学校3年生のあの日 、学校のクラスメートや上級生、下級生の見ている前で、屈辱的な体験をしてしまう。その後不登校に。その記憶に苛まれながら過ごすことになる。青春時代は、母の想像を絶する黒歴史、苦悩を引継いでしまうことなる、悲しみ多き女性である。





(あし)() みどり



本書の主人公、真子の小学校時代のクラスメートであり、大親友。



しかし、小学校3年生のあの日 、学校の廊下を走る真子の足止めをし、真子が屈辱的な体験を味わうきっかけをつくってしまう。



その後、真子との関係は断絶する。










(よし)(とき)



本書の主人公、真子の小学校時代のクラスメート。葦田みどりの幼馴染。



小学校3年生のあの日 、学校の廊下で真子に屈辱的な体験をさせる張本人。











奥中(おくなか) 峯子(みねこ)



本書の主人公、真子の母。スーパーや郵便局で働きながら、女手ひとつで真子を育てる。誰にも言えない悲しみと痛みの歴史がある。








雪子(ゆきこ)



本書の主人公、真子の大伯母であり、真子の母奥中峯子の伯母。


愛媛県松山市在住。







銀髪で左目に眼帯をした男



本書の主人公、真子が学校の廊下で屈辱的な体験をするあの日 、真子たちの



住む町で交通事故死した身元不明の謎の男性。



所持品は腕時計、小銭、数枚の写真。










定美(さだみ)(通称『サダミン』)



本書の主人公、真子が初めて就職したスーパーの先輩。



優しく、世話好き。



だが、真子は「ウザ」と言うあだ名をつける。









不動刑事



本書の主人公、真子が身の危険を感じ、警察署に駆け込んだ際に、対応してくれた女刑事。



正義感に溢れ、真面目で、これと決めたら周囲を気にせず駆け抜けるタイプである。



あだ名は、『不動産』。警視庁阿佐ヶ谷中央警察署生活安全課巡査部長。
















平戸



本書の主人公、真子につきまとう男。



また、真子の母の人生にも大きく関わっていた。






愛川のり子



子役モデル出身の国民的大女優。



〔あいのん〕の愛称で、幅広い世代から人気。



映画、テレビ、雑誌などで大活躍中。







石出(いしで) 生男(いくお)



本書の主人公、真子の小学校時代のクラスメートであり、幼馴染。小学校3年生のあの日 、真子を裏切る。




(やぎ)(ぬま) 真子のちに(結婚により)(さかえ) 真子



 本書の主人公。旧姓は、奥中。



小学校3年生の時、学校中の見ている前で屈辱的体験をし、不登校に。



その後は、まさに人生は転落、夜の世界へと流れていく。



だが、22歳の時小学時代の同級生二人と再会し、和解。回復への一歩を歩みだす。

(さかえ)(よし)(とき)



本書の主人公、真子が小学校3年生の時、屈辱的体験をさせた張本人。



そして、真子が22歳の時、男に追われているところを助けた人物でもある。



その後、真子の人生に大きく関わり、味方、何より人生の伴侶となる。

柳沼雪子



本書の主人公、真子の大伯母。養子縁組により、真子の母となる。



夫は眼科医であったが、すでに他界。愛媛県松山市で一人暮らしをする愛の女性である。

定美(さだみ)(通称・『サダミン』)



本書の主人公、真子が大事にしているキーホルダーをプレゼントしてくれた女性。



真子が川崎市を飛び出して来てから長いこと音信不通だったが、思いもしないきっかけで、真子と再会することになる。

不動みどり



本書の主人公、真子が小学校3年生の時、屈辱的体験をするきっかけを作ってしまう。



そして、真子が22歳の時、再会。つきまとい行為を続ける男から真子を助ける。



旧姓は、葦田。警視庁阿佐ヶ谷中央警察署生活安全課・巡査部長。

都和(とわ)



明慈大学理工学部で学んでいた女性。DVによる妊娠、恋人の自殺、大学中退……と、真子のように転落人生を歩みかけるが、寸前を真子に助けられる。

愛川のり子



〔あいのん〕の愛称で、幅広い世代から人気。



映画、テレビ、雑誌、海外でのドラマ出演など活躍の場を広げる国民的大女優である一方、息子の『いじめ報道』に心を痛め、また後悔する母親。



本名は、哀川憲子。

()(おり)



結婚した真子の義姉となる女性。



真子との初対面時は、性格上、真子を嫌っていたが、



後には、真子と大の仲良し、何でも言い合える仲になる。



名家の出身。



 

石出(いしで) 生男(いくお)



本書の主人公、真子を裏切った人物。



真子が小学時代の同級生二人と再会し、和解した夜に自殺。



第二巻では、彼の娘の名前が明かされる。

新名 志与


旧姓、長谷島。

第一章では、主人公に、『しーちゃん』と呼ばれている。

夜の世界で働いていた真子にとって、唯一の親友と

呼べる存在、姉的存在だった…。


ある出来事をきっかけに、真子と再会する(第二章)


小羽


 真子の中学生時代(奈良校)の同級生だったが…。


第二章で登場する時には、医療従事者になっている。

居村


 義時と真子が結婚式を挙げるホテルの担当者。

ブライダル事業部所属、入社3年目の若手。

 

真子曰く、未婚、彼氏募集中。

不動刑事


主人公の親友である不動みどりの夫。


石出生男の自殺現場に出動した刑事課員の1人。



最愛の妻、同じ署に勤務する警官のみどりが、

自分に隠れ、長年自宅に『クスリ』を保管、しかも、

所持だけではなく、使用していた事実を知った

彼は……。

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