第十四章 ㉖
文字数 2,182文字
真子は、されるがままだ。……でも、
嬉しかった。
自分は招かれざる客ではなかったことが、
分かった。
社長夫人の温もり、優しさ、良い香りが
真子を覆う。
涙声で、社長夫人が言う。
「柳沼さん!!
良かったぁ!
また、会えて、本当に嬉しい……わ。
よく……、来てくれたわねぇ。
私、毎日、いつも、あなたのためにね、
お祈りしてたのよ……」。
そして、社長夫人は、さらに、強く、
真子を抱きしめた。
真子も震える手で、母のような社長夫人
の背を抱きしめ……。
そこで、感極まり、泣き出す。
子どものように声を出し泣く真子に、
義時が駆け寄ろうとする。
それを、社長夫人が、目で制する。
「いいの、いいの。大丈夫よ」と、
真子に囁きながら…。
…社長は、ずっと気になっていた。
電話する自分の背後が騒がしい。
さっき、パソコン作業をしていた妻が
立ち上がって、すぐ後ろの方に行った。
店内に出て行ったのかと思ったが、
自分の後ろで誰かたちと話し合って
いる……?
社長は、気になったので、電話しながら
後ろを振り向いた。
その瞬間、顔を知らない若い男-義時-と
目が合った。
携帯を耳にあてながら振り向いてきた男性
と目が合ったので、とりあえず、義時は、
お辞儀した。
「どうする?」。
どうしたら良い?
真子も、目の前の人も、声をかけれる感じ
じゃない。
この男の人に、説明した方が、良いのか?
迷っている義時の前で、社長は電話相手に、
言う。
「ちょっと!ちょっと、待ってくれ!
また、すぐ、掛け直す……」。
そう言って、電話を切った。
何故って、電話を続けている場合じゃない!
関係者以外立入禁止の事務室に、誰だが
分からん男がいる。
しかも、そいつの目の前、自分の真後ろで、
妻とどっかの若い女が床に座り込んで泣いて
いる!!
どういう事態なのか、全く、分からない!
冷静に……と思っていたが、困惑のあまり、
叫んでしまう。
「おい!!どうしたんだ。
何だ、コレ!?」。
その大声に、義時はドキッとする。
思わず体が固まる。
で、泣いている真子も、身体を縮める。
そして、社長夫人が答えた。
「あなた!
柳沼さんよッ!!
あの愛媛から来て、寮で暮らしてた、
あの柳沼さん!」。
社長は、思わず、立ち上がっていた。
あまりの勢いに、ソファーの前のソファー
テーブル上のお茶が、こぼれた……。
その日、義時と真子は、屋山夫妻と、非常に
有意義な時間を共にした。
真子は、義時に見守られながら、自分が
しでかした無礼を、謝罪した。
屋山夫妻は、二人とも、笑顔で、赦して
くれた。
それどころか、定美が言っていた通りに、
「こちらこそ、ごめんなさいね。
あの頃、働いてくれてる人の中で柳沼さんが
一番若くて、いろいろ大変だっただろうに、
ちゃんと相談に乗ってあげたり、ケアとか
できなくて……」とまで、社長夫人は
言った。
感動……。
と言うより、声が出なかった。
悪いのは、100%、自分なのに…‥!!
悪いのは、自分だけなのに……!!
真子は、社長夫妻の、まるで輝いている
ような、いや、実際に輝く顔を見ていて、
思い出した。
「あぁ……。社長さん達、クリスチャン
って言ってたなぁ」と。
事務室の奥に飾られている十字架も、
輝いて見えた。
当然、話しは、義時の話題にもなる。
社長夫人が不思議そうな顔で、真子に訊く。
「柳沼さん。この方は……?」。
真子は、顔を真っ赤にしながら、義時を
紹介した。
そんな真子を、娘を見つめるかのように、
奧山夫妻は優しく見守る。
「私たち、6月に結婚するんです…」。
真子が、そう報告すると、奧山夫妻は、
本当に、自分たちの娘が結婚することが
決まったくらいに、喜んでくれた。
特に、話しの流れで、義時が、数年前まで
スーパーで働いていた遠縁の定美の息子
だと知り、社長夫人は、飛び上がるほど、
喜んだ。
「不思議ねぇ。
人生って、不思議な出会いや縁が、
いっぱいねぇ」と、社長夫人が呟く。
真子も同感だった……。
その後は、お互いの近状報告がされた。
真子は、社長夫妻の話を聞きながら、
昔のスーパー勤務時代のことを思い出して
懐かしかった……。
そんな真子に、「柳沼さん。今は、どんな
とこで働いてんの?」と、社長が尋ねる。
真子は、正直に答えた。
「今までは働いていたんですが、今は、
色々あって、無職です。
でも……、結婚するので、お金を貯める
必要があるので、パートタイムでも
良いから、働きたいと思っています」。
でも、実際は、なかなか、『これぞ!』
と言う求人なんて見つからない、それが
現実だった……。
現実を思い出し、沈みかける、真子に、
社長が、手を打ちながら、言う。
「あぁ、そう!
あれ、今は、東京の杉並だって言った
よねぇ?
あのねぇ、私の知り合いが、23区の西部
中心にスーパーを何軒かやってるから、
そこで、バイトできるか訊いてみようか?
まぁ、迷惑じゃなければだけど……」。
「迷惑なんて!とんでもないです……!
ぜひ、お願いしますッ!!」と言いたい
のだけど、声が出なかった、真子は…。
原因・理由は、感動のし過ぎ……。
「こんなこと、あんのか!?」と、
義時も思っていた。
……婚約者ながら、真子がしたことは、
屋山夫妻に完全に無礼、失礼なことだった。
自分が今、経営者側の立場だから分かる。
当時、どんなに、屋山夫妻が、真子の件で
迷惑を被ったか…。
「それなのに、その張本人のために、
ここまで、するの……!?」。
(著作権は、篠原元にあります)