第五章 ⑥

文字数 3,626文字

同年代のやよいちゃんと遊び、時には
年下のやよいちゃんから強く叱責されたり、
あるいはやよいちゃんが抱き着いて来る、
こんな時間の中で、楽しい記憶が、
真子の中で多くなっていく。
「今日も楽しかったぁ」と、一日を
振り返ることが多くなり、あの事件の
ことを思い出すことが少なくなった。
昔の記憶、あの日 の記憶はあるの
だけど、それを思い出す時間が、確実に
少なくなっていったのである。

やよいちゃんのお母さんも、本当に
真子に良くしてくれた。
中学校の教諭だった、やよいちゃんの
お母さんは、峯子から真子のことを
聞いていた、ある程度…。
そして、峯子が郵便局に、やよいちゃんは
学校に行っている間、やよいちゃんの
お母さんが、真子の部屋に来てくれた、
毎日ではないが。
そして、勉強を教えてくれた。
教え方は、本当に分かりやすくて、
すごく面白かった。
だから、しばらく学校や勉強から離れて
いた真子も、すっかりその勉強の時間に、
はまってしまった。
そして、どんどん勉強の方も進んでいく。
やよいちゃんとは一緒に遊び、
唯一の友ができた!
やよいちゃんのお母さんは、勉強を教えて
くれて、真子の先生となってくれた!

やよいちゃん親子との交流。
勉強をみてもらい、一緒に遊び、女の子だけ
の話をしたり、一緒にご飯を食べる…。
この『普通』の子にとっては『普通』の
日々。
でも、その日々を通して、荒んでいた
真子の心に温かさが戻ってくる…。
自分を知る人が誰もいない奈良に来て、
真子は、人の温かさ、愛情に出会い、
孤独ではなくなっていく…。

あと、月に何度か…-その日は丸瀬家の
お父さんが夜勤で家にいない日-、
丸瀬母娘、奥中母娘、益田さんと
早乙女さんが、丸瀬家の部屋に集合する
ことになった。
集まって、女子会。
女6人が鍋を突っつき、大人はビール。
子どもはオレンジジュースを飲み、騒ぐ。
大人女子たちの恋愛の話し、異性の話し、
失敗談をやよいも真子も興味津々で
聞いている…、そんな男子禁制の時間
だった。
その日は、朝から、落ち着かない真子。
楽しみで楽しみでしょうがない!!

そんなかんなで、楽しく、騒がしく、
過ぎていく、真子の学校に行っていれば
小3の1月から小6の3月までの
奈良での日々だった…。
この奈良での生活の中で、真子の心は、
安息を得、あの事件の傷を確実に
癒していくのだった。
それでも、「学校、行こう」とは、結局
決心できなかった。
時に、あの事件の記憶が、
襲ってくるのだった、夜夢の中で…。
また、日中、学校の建物を目にして
しまった、その瞬間!
学校……、それは、真子にとっては、
近寄りがたい建物、目にするのも嫌な
建設物だった、いまだに。


……奈良で、多くの年月が過ぎた。
学校に行かないことにより、真子の心も
体も安息を得た。
そして、真子と同い年の子たちが、
中学校に進む年になった。
その春から、真子は親元を離れ、母の伯母で
ある雪子のもとで暮らすことになった。
真子も母もその伯母雪子も3人が
話し合い、そう決めたんだ。
3人同意の決断。
でも、母は、寂しかった。
仕事のこともあり、一人だけ奈良に残る身
となった母。
バスに乗り込む一人娘、真子を見送り、
母は、一人で涙を流した。

真子は、母の伯母、雪子の家に住み、
近所にある中学校に通うことにした
のである。
「中学生になる年齢なんだから。もう、前に
進もう。中学からは新しい人生を始めよう。
この近所では、変に噂されてるから、
松山に行って、転校生って言う形で、
雪子おばさんが言う通り、中学生生活を
始めるんだ。今度は、逃げない!」と、
決心できるほど、真子は良くなって
いた。
そう決心したのが、4月の頭あたりだった。

松山に着いたその日は、4月半ばの
暖かな日だった。


真子は雪子おばさんの家の周りを
歩いた。
目の前に山があり、畑があり、小川が
流れている。
今までの奈良の田舎と同じぐらいの
田舎だけど、すぐに「あっ。こっちの方が
良い!空気も景色も松山の方がいいや!」
と真子は思った。
何か、この土地は懐かしく感じる。
そう、自分の故郷のように…。


しばらく歩いていると、たくさんの
中学生の一団が、自転車で向こうから
やって来る。
すれ違う時、真子はドキドキしたが、
中学生たちは真子を気にせず、
ワイワイガヤガヤ話しながら、
そのまま駆け抜けていった。
真子は、そっと後ろを振り向いてみた。
みんなが白いヘルメットをかぶっている。
「私もあんな風に通学するんだな。
あともう少しで」と思ったが、
すぐに、「そっか。雪子おばさんの家、
学校のすぐ目の前だから、私は
歩いて通うんだなぁ」と気づいた。

そんなことを考えながら、さらに歩いて
いくと、向こうから一人の女の子が
近づいて来た。
「歩きでこっちに向かってくるって
ことは、家の近所の子ね」と、真子は
思った。
今度は自転車でなくて、あっちも歩き、
こっちも歩きなので、すれ違う時…
どうなるのか、真子はずっとドキドキ
しながら、歩を進めた。
今更、周り右なんてできないし……。


近づくとその女の子がよく見える。
真子は、チラッチラッと女の子を見て
みた。
小柄で可愛らしい『おさげ』の子。
おそらく、自分と同じ1年生…。
緊張した真子が、その子とすれ違う時、
その女の子の方が真子に「こんにちは」と
優しい声であいさつしてくれた!
真子は嬉しかった。
そして、真子も「こ、こんにちは」と
返した。
だが、自分の声が上ずっていることに、
気づく。
その子は、そのまま雪子おばさんの家の
方向に歩いて行った。
「あの子と同じクラスだったら良いなぁ」
と、真子は思った。

1時間ほど、雪子おばさんの家の周りを
散歩した真子は、広い庭のある雪子おばさん
の家に戻った。
庭もあれば、畑もある!!
今までの、いすみ市や奈良県でのアパート
生活では考えられない広さの土地、
そして、大きい家だった。


雪子おばさんの家は2階建て。
母が言っていた。
「伯母さんの家は広くて、いっぱい
部屋があるから、2階の畳の部屋を
使わせてもらうと良いわ。
私がね、小さい頃、よくその部屋に
泊まったのよ。
あとね、あの家は、昔、棟梁さんが、
たった一人で建てあげて、評判に
なって、雑誌に載ったこともあるの。
だから、スゴイ家なのよ。
汚さない、ちゃんと掃除する、
そして、しっかりお手伝いするのよ!」
と。
真子は、改めて、雪子おばさんの家を
見上げてみた。
「こんなに大きくて立派な家を
大工さん一人で作るなんて、普通じゃ
ありえない!」と思った。
すでに、母が恋しかったが、ある面、
ちょっと嬉しかった。
親元を離れて、自立した自分…。


雪子おばさんの家に入ると、
雪子おばさんは夕食の準備をしていた。
「夕飯の前に、片付けしておいてね」と
言われ、真子は居間に入った。
さっき、到着するやいなや外の空気を
吸いたいと、散歩に出かけたので、
まだスーツケースはそのままだった。



居間には、小さい頃の真子が、
雪子おばさんに誕生日プレゼントとして
送ったと言う、手作りの『うちわ』が、
大切そうに飾られていた。
真子は全く憶えていないが、
雪子おばさんはさっき言った。
「これはね、私の宝物よ、真子ちゃん。
あなたがね、ほら、このうちわに私と
峯子さんと自分の絵を描いてくれたのよ」
と。
小さな自分が描いた3人の絵。
正直、上手いとは言えない。
でも、何か微笑ましかった。
小さな頃の自分は何を思い、
いったい何を考えていたのだろう…。
居間で荷ほどきしながら、真子は、
フッと窓の外を見た。
庭の大きな木が目に入る。
雪子おばさんが入って来て、
「あぁ。あの木は、イチョウよ」と
教えてくれた。
背の高いイチョウの木。
雪子おばさんの旦那さんが、まだ
生きていた頃、植えた木らしい。


また、雪子おばさんは、
「あれ、あれ見える?何本も並んで植えて
いるの……。あれはね、ブルーベリーよ」
と教えてくれた。
雪子おばさんが指さす方を、
じっと見てみたけど、真子にはブルーベリーの
実は見えなかった。
と言うより、いろんな木や花や緑が目に入って、
どれがブルーベリーか分からなかった、正直。
でも、雪子おばさんは、そんな真子に、
全く気付かない様子で、じっとそっちの方を
見つめながら
「あのブルーベリーはね、夫が亡くなる直前に
植えてね、亡くなる前の日まで、世話を
していたのよ。いろいろと大変だけど、
夫が遺してくれたものだから、頑張るの、
私も」と言った。



後日談だが、その年の冬、あのイチョウの
木が切り倒されることになった。
真子は残念だった。
「もう銀杏を拾うことができなくなる」と
思って…。
どうやら、秋になると毎年その木の葉っぱが
沢山散って行き、周囲の用水路にそれらが
溜まって、用水路がつまる…と言う、
苦情が前々から雪子に来ていたらしい。
そう真子は、雪子おばさんから聞いた。


イチョウの木が切り倒される日、
寒い冬だった。
真子はストーブを点けた居間の中から
見ていた。
悲しかった。
木も生きているのに…。
長年、雪子おばさんとともに、
過ごした、あの木を切り倒すなんて。
真子は、近所の人たちが、
恨めしく、思えた…。



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登場人物紹介


奥中(おくなか) 真子(まこ)のちに(養子縁組により)(やぎ)(ぬま) 真子のちに(結婚により)栄真子




 本書の主人公。小学校3年生のあの日 、学校のクラスメートや上級生、下級生の見ている前で、屈辱的な体験をしてしまう。その後不登校に。その記憶に苛まれながら過ごすことになる。青春時代は、母の想像を絶する黒歴史、苦悩を引継いでしまうことなる、悲しみ多き女性である。





(あし)() みどり



本書の主人公、真子の小学校時代のクラスメートであり、大親友。



しかし、小学校3年生のあの日 、学校の廊下を走る真子の足止めをし、真子が屈辱的な体験を味わうきっかけをつくってしまう。



その後、真子との関係は断絶する。










(よし)(とき)



本書の主人公、真子の小学校時代のクラスメート。葦田みどりの幼馴染。



小学校3年生のあの日 、学校の廊下で真子に屈辱的な体験をさせる張本人。











奥中(おくなか) 峯子(みねこ)



本書の主人公、真子の母。スーパーや郵便局で働きながら、女手ひとつで真子を育てる。誰にも言えない悲しみと痛みの歴史がある。








雪子(ゆきこ)



本書の主人公、真子の大伯母であり、真子の母奥中峯子の伯母。


愛媛県松山市在住。







銀髪で左目に眼帯をした男



本書の主人公、真子が学校の廊下で屈辱的な体験をするあの日 、真子たちの



住む町で交通事故死した身元不明の謎の男性。



所持品は腕時計、小銭、数枚の写真。










定美(さだみ)(通称『サダミン』)



本書の主人公、真子が初めて就職したスーパーの先輩。



優しく、世話好き。



だが、真子は「ウザ」と言うあだ名をつける。









不動刑事



本書の主人公、真子が身の危険を感じ、警察署に駆け込んだ際に、対応してくれた女刑事。



正義感に溢れ、真面目で、これと決めたら周囲を気にせず駆け抜けるタイプである。



あだ名は、『不動産』。警視庁阿佐ヶ谷中央警察署生活安全課巡査部長。
















平戸



本書の主人公、真子につきまとう男。



また、真子の母の人生にも大きく関わっていた。






愛川のり子



子役モデル出身の国民的大女優。



〔あいのん〕の愛称で、幅広い世代から人気。



映画、テレビ、雑誌などで大活躍中。







石出(いしで) 生男(いくお)



本書の主人公、真子の小学校時代のクラスメートであり、幼馴染。小学校3年生のあの日 、真子を裏切る。




(やぎ)(ぬま) 真子のちに(結婚により)(さかえ) 真子



 本書の主人公。旧姓は、奥中。



小学校3年生の時、学校中の見ている前で屈辱的体験をし、不登校に。



その後は、まさに人生は転落、夜の世界へと流れていく。



だが、22歳の時小学時代の同級生二人と再会し、和解。回復への一歩を歩みだす。

(さかえ)(よし)(とき)



本書の主人公、真子が小学校3年生の時、屈辱的体験をさせた張本人。



そして、真子が22歳の時、男に追われているところを助けた人物でもある。



その後、真子の人生に大きく関わり、味方、何より人生の伴侶となる。

柳沼雪子



本書の主人公、真子の大伯母。養子縁組により、真子の母となる。



夫は眼科医であったが、すでに他界。愛媛県松山市で一人暮らしをする愛の女性である。

定美(さだみ)(通称・『サダミン』)



本書の主人公、真子が大事にしているキーホルダーをプレゼントしてくれた女性。



真子が川崎市を飛び出して来てから長いこと音信不通だったが、思いもしないきっかけで、真子と再会することになる。

不動みどり



本書の主人公、真子が小学校3年生の時、屈辱的体験をするきっかけを作ってしまう。



そして、真子が22歳の時、再会。つきまとい行為を続ける男から真子を助ける。



旧姓は、葦田。警視庁阿佐ヶ谷中央警察署生活安全課・巡査部長。

都和(とわ)



明慈大学理工学部で学んでいた女性。DVによる妊娠、恋人の自殺、大学中退……と、真子のように転落人生を歩みかけるが、寸前を真子に助けられる。

愛川のり子



〔あいのん〕の愛称で、幅広い世代から人気。



映画、テレビ、雑誌、海外でのドラマ出演など活躍の場を広げる国民的大女優である一方、息子の『いじめ報道』に心を痛め、また後悔する母親。



本名は、哀川憲子。

()(おり)



結婚した真子の義姉となる女性。



真子との初対面時は、性格上、真子を嫌っていたが、



後には、真子と大の仲良し、何でも言い合える仲になる。



名家の出身。



 

石出(いしで) 生男(いくお)



本書の主人公、真子を裏切った人物。



真子が小学時代の同級生二人と再会し、和解した夜に自殺。



第二巻では、彼の娘の名前が明かされる。

新名 志与


旧姓、長谷島。

第一章では、主人公に、『しーちゃん』と呼ばれている。

夜の世界で働いていた真子にとって、唯一の親友と

呼べる存在、姉的存在だった…。


ある出来事をきっかけに、真子と再会する(第二章)


小羽


 真子の中学生時代(奈良校)の同級生だったが…。


第二章で登場する時には、医療従事者になっている。

居村


 義時と真子が結婚式を挙げるホテルの担当者。

ブライダル事業部所属、入社3年目の若手。

 

真子曰く、未婚、彼氏募集中。

不動刑事


主人公の親友である不動みどりの夫。


石出生男の自殺現場に出動した刑事課員の1人。



最愛の妻、同じ署に勤務する警官のみどりが、

自分に隠れ、長年自宅に『クスリ』を保管、しかも、

所持だけではなく、使用していた事実を知った

彼は……。

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