第十章 ⑤
文字数 3,000文字
「あの……。
平戸にメールして良いですか?
『今日、警察に行って、相談してきました。
これ以上変なことしたら正式に訴えます』
って……」
平戸とは、つきまとい男の名前。
おそらく……、と言うより、確実に、
本名です。
彼の名刺を、私は、ヤギヌマさんから
預かりました。
その名刺は、神奈川県に本社がある
建設会社のモノでした。
平戸は、その会社の東京支社勤務となって
います。
私は、訊かれて、瞬時に考えました。
ヤギヌマさんが、そのようなメールを
送ったら、平戸は今までのようには、
メールを送ってこなくなるかもしれない。
ヤギヌマさんは、平戸からのこれまでの
卑猥な文章も含むメールや恐喝ともとれる
内容のメールを既に削除してしまっている。
正直、それらのメールが残っていれば、
私も、他の選択肢がありました。
でも、メールが削除されてるから、
かなり時間がかかると、判断したのです。
私は答えました。
「いえ、メールはしないでください。
今、ヤギヌマさんが、そのようなメールを
送ると、あっちも警戒して、メールとかを
送ってこなくなるかもしれません。
そのかわり、もっと、悪質な行為に走って
来る可能性もあるんです。
今の状況では、メールは今まで通りに、
頻繁に送って来てもらった方が良いんです。
それらが、追い詰める証拠になりますから。
だから、今日から、届いたメールは、
絶対に消さないで残しておいてくださいね」。
ヤギヌマさんは、素直に、
「分かりました。
じゃあ、送らずに、あっちからのメールを
待ちます」と言ってくれました。
私は、平戸を何とかしてやるために、
上司には内密に、警察官の『職権』を
行使し、『半ば脅し』位はしてやろうと
言う、思いでした。
そう、警察官の立場を使えば、
平戸のことは、いくらでも調べることが、
可能です。
ヤギヌマさんに、今後届くはずの卑猥な
メールが一定数そろったら、警察官として
平戸を署に呼び出して…、もしくは、
平戸の会社にでも乗り込んで行って、
「あんた、自分が、何してんのか
分かってんの?!
あんたの行為は、悪質な行為、犯罪でしょ!
妹に、これ以上つきまとうようだったら、
うちの生安課も刑事課も地域課も総体制で、
あんたを追い詰めるよ!
こっちには、別件逮捕って手もあるからね」
と嘘も混ぜて一喝してやろうとさえ、
考えました。
まぁ、実は、これ昔、先輩が、使った
手なんですが……、実際。
そうですね、普通の女性が、こんなこと
言っても、相手は怯まないでしょう。
でも、現に、警察手帳を手にした女性が、
こう怒鳴れば、一発です!
しょせん、平戸のような男は、卑怯で、
弱虫ですから。
刑事が職場に乗りこんで行って、
警察手帳を出して、一喝すれば、すぐに、
終わりです。
『この手で、ヤギヌマさんを助けよう……』
と思いました。
そのためにも、とにかく、ヤギヌマさんに
どんどんメールを、そう、特に、卑猥な
メールや恐喝めいたメールを送ってほしい
のです、平戸には。
ヤギヌマさんは、
「消さなきゃ良かったですね。
ごめんなさい。
気持ち悪くて、消しちゃっていたんです」
と本当に申し訳なさそうに、
言ってきました。
私は、楽観的な声で、答えます。
「大丈夫です。
こういう男は、メールをどんどん送って
きますから、調子乗って。
おそらく、明日の朝には、いっぱい
メールが届いてるはずです」。
確信がありましたね……。
私は、上から降りてくるエレベーターの
表示を見つめながら、
「平戸狩男、待ってな。
すぐに、私が乗りこんで行ってやるから」
と心の中でつぶやきました。
そうだ!……と思いました。
たとえ、メールがそろわなくても……、
こっちには、警察権があるんです。
警察手帳があります。
今の段階ででも、会社に乗り込んで行って
良いわけです。
急に警察官が乗り込んで来たら、しかも、
「平戸さんは、いますか?」と言ったら、
それだけで、かなりのダメージです。
極めつけで、わざと大きな声で、
「ここでは、あなたも話しづらいで
しょうから……。署まで、
ご同行願えますか?」
と言ってやれば、後で、色んな噂が社内を
行き来し、平戸は会社に居づらくなるの
です。
まぁ、実際行かなくても、ただ、
「こちら阿佐ヶ谷中央警察署です。
そちらの平戸さんについて、少し、
お訊きしたいんですが……」と言うような
電話一本だけでも、平戸は疑われる……。
そんなことを考えながら一瞬、
「私がこんなことを考えるなんて……。
小説の中の不良警官みたいだわ」と
思いました。
でも、「不良警官でも良いわ!
今回のケースはしょうがないじゃん!」とも
思いました。
ヤギヌマさんがエレベーターに乗り込み、
エレベーターの扉が閉じた後、私は、
はぁーと、息を吐きます。
……ヤギヌマさんに関わると言う、
大きな決心をして、心は燃えているのですが、
かなり、『忙しい現実』を思い出します。
そう。
まだ、書類作成の途中だ!!
急げば、30分位で終わるでしょうが、
家に戻ったら、夜の10時……。
あの奥中真子との『約束の靴』-ピンク色の
靴-を見つめながら、夫に電話しました。
夫は、優しいです。
「分かった。10時な位ね……。
じゃあ、もうピザ屋に連絡して、
君が帰ったら、すぐに、食べれるように
しておくよ」と言ってくれました。
夫との電話を終え、思いました。
「帰り道、コンビニに寄って、
何か買って行こう」と。
夫への感謝と謝罪をこめて……。
生安課には、誰もいません。
シーンとした部屋で、書類作成再開です。
資料を取ろうと、一瞬、自分の履く
ピンクの靴が目に入ります。
そう言えば、さっき、ヤギヌマさんが、
ジッと見ていたな……。
「多分、『刑事が、職務中に、
こんな派手な靴履いて良いの?』と、
思わせちゃったんだろうなあ」と推理。
でも、私にとっては特別な靴なのです!
中学生の時、私は誓ったのです。
奥中真子のことを思いながら……。
「ずっとこの靴を履こう!」と。
そして、中学生の私は、色々調べて、貯金を
おろして、靴屋に出かけて、人生初めての
『賭け』に出たのです!
「これ以上、足のサイズが大きくならない」
と賭けて、いいえ、「絶対に、なるな!」と
必死に願いながら、注文書に、サインした
のを憶えています。
まぁ、結果、私の決死の思いが、私の足に
届いたのか、私は、今に至るまで、ずっと、
あの靴を履けています。
そう言えば、最近見たテレビ番組で、
言っていましたね。
「女の子の体の成長は、基本的に、
中学生の頃で終わる」と。
当時は、そんなこと知りませんでしたが、
まさに、私の足のサイズの成長は、中学校の
頃で止まったのです。
小学の頃からずっと履き続けている靴。
もちろん、古くなったら、新しいのに替えて
いますが、ずっと、ピンクの運動靴です。
白色の星や月などが描かれている……。
個人的に、かなり気に入っています。
でも、履いているのは、奥中真子のことを
忘れないためでもあります。
さすがに、地域課の制服警官として勤務して
いた頃は、指定がありましたが、生安課に
移ってからは、ほぼこの靴で、貫いています。
パソコンを立ち上げながら、考えました。
「私が、今でも、この靴を履いていると
知ったら、奥中真子は喜ぶだろうか?
いや、もう、『あの靴の約束』、と言うより、
私のことすら忘れてるかもしれない……」。
「そうだよね。
私のことなんて、とっくに忘れてるよね」と
思いました。
でも、それでも、履き続けるんだ……、
そう、決めています。
(著作権は、篠原元にあります)