第十七章 ⑱
文字数 1,340文字
もちろん、彼女は知る由もないが……。
同じく、彼女と、最初で最後の出会い、
最初で最後の関係となる下木高穂に、
車椅子を押されながら、予約便の
搭乗口へと向かう。
今日初めて出会ったグランドスタッフに
介抱されながら、『あの日』のことを
思い出していた……。
「あの日も、この羽田空港は、
混んでたわねぇ」
……………………
東京を離れ、愛媛県・松山市へ移住する
ために、この羽田の空港に、彼と来た…。
彼と二人で、搭乗口へと歩いた。
周囲には、ウキウキしているアベックたち。
楽しそうに話す家族たち。
忙しそうにしている空港職員、航空会社
社員、そして、客のビジネスマンたち。
みんな『目的』に向かって、前に進んで
いく、この羽田から……。
でも、自分達は。
前に進んでいくために搭乗するわけでは
ない、決して。
カップルでの旅行を楽しむのが目的でも
ない、絶対。
だから、足取り重く、搭乗口へと
向かう。
抱くのは、希望でも、期待でも、興奮
でもなくて、怒り、憎しみ、何より、
悔しさ……だったか?
いや、彼は思っていたに違いない。
「完敗した」、「もう、こっちには
絶対戻れない。いや、戻る場所すら
ないんだ!」と。
そう。周囲の搭乗客たちとは決して
同じでない、いや、似てもいない、
『負の感情』を抱き、いや、背負いながら
自分たちは、あの日、ここにいた……。
逃げるのだ、松山に……。
この粉雪が舞う冬、誰にも見送られずに、
首都東京を離れて。
何もかも捨てて…。
彼を、打ちのめした、いや、彼から
全てを奪うことになる『あの事件』は、
その数か月前……首都にも美しい紅葉の
季節に、起こった、起こってしまった。
だけど……。
誰も知らない。
『起こってないこと』にされたから。
知るのは、一部の病院職員と、一部の
手術室看護師と、一部のエリート医師と、
そして、一部の厚生省官僚と、たった
1人の大物政治家だけ。
そう、アイツらは、自分達のエゴの
ために、ただ、それだけのために、
『あの事件』をもみけしたのだから。
完全に、この日本社会から……!
彼は。
私の伴侶は……。
クズ共に、【捨て駒】にされた
大学病院勤務眼科医、だ。
奴らの『出世欲』と『保身』だけの
ために!ただ、それぽっちのものの、
ために……。
アイツらは、私の最愛の人を、大学から、
いや医学界から抹殺しようと、謀って
金と権力と、派閥の勢力と、大学内の
人事権と、政界との癒着で……!!
あの日。
まさか、彼―私の最愛の人―は、
その日が、【人生の分かれ目】の日
になるとは知らずに、職場に出かけた。
私は、朝、いつも通りに、玄関先で
見送った。
いつも通り、夜には、疲れ果てた顔
だけれど、充実感に満ちた表情で、
帰って来るはずだったのに…、それが
当然だったのに。
あのクズ共のせいで!!!
後で聞いたら―それまで、彼は、自分の
仕事のことを家ではそんなに話さない
人だったから―、その日、彼の勤務する
眼科で、手術が行われることになって
いた……。
珍しい症状の患者でもなく、言うならば
簡単な手術が予定されていた。
患者は、まだ小学生の低学年の男の子。
何もなく、普段通りに、手術が終わる
はずだったのに……。
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