第四章 ⑥
文字数 3,287文字
言った。
「みんな。ありがとう。おかげさまで、
こうやって元気に退院できました。
予想以上に長い入院になっちゃった
けどね……。でもね、そのおかげで、
教会の人たちとも出会えて、
聖書を読むようになったり、
お祈りもできるようになって、
私は心が豊かな人間になれた
感じがします」
そして、一同を見まわして
続けた。
「それでね、私もお父さんもね、
これからは、教会に通おうと思うの。
義時、あの西町さんの教会よ……。
だからね、義治たちには、悪いけど、
もう少し、私たちはこっちにいさせて
もらうわ。
今までは、お父さんも私も銭湯のことや、
お父さんが亡くなったお祖父ちゃん
から受け継いだ不動産の管理で
手一杯だった……。
人生の意味なんて考える余裕も
なかった。でも、病気になって
いろいろなことを深く考えることが
出来たの。
だからね、もう少し、こっちで暮らして、
教会に通って、人生の本当の意味を
模索したいなって……。
みんな、許してくれるかしら?」。
母がしゃべり終わると、父が言った。
「これが母さんの意思だ。
母さんは、一度は死んだんだ。
そうだろ?
でも、元気に生き返って、こうやって
退院できたんだ。
俺は、今まで母さんには無理や
我慢ばっかりさせて来た。
少しも母さんのことを顧みなかった。
でも、母さんが倒れて、
西町さんたちと知れあえて、
色々思う所、考える所があったんだ。
だから、俺は、これからは母さんに
付き合って、母さんと歩を合わせて、
生きて行こうと思う」
俺は、「何言ってんだ。急に……。
自分勝手な二人だな。
俺たち、子どもたちはどうなんだよ」
と正直思った。
「ちょっと待ってよ。
じゃあ、俺もずっと神奈川に
いることになるわけ?!」と
言いたかった。
俺は口を開こうとした。
その時、兄嫁が口を開いた、俺より
早く。
しかも、気づいたら目が潤んでる。
「お義父さん、お義母さん……。
ご立派です……。
分かりました!
引き続き、銭湯のことや
アパートとかのことは、私たちに、
任せてください。
今まで、お義父さんやお義母さんは、
代々続く銭湯や土地や物件のために
大忙しだったんですから、
そのように、人生を見つめなおす
時間も大事だと思います」
内心、
「はぁ?何言ってんの、義姉さん?」と
思った。
だが、続けて、兄も、
「そうだなぁ。こっちも、慣れて来たし、
経営にも余裕が出て来たしな。
何かあったら、父さんには
駆け付けてもらうけど、まっ、
任せてくれて大丈夫だ!」と言った。
そして、兄は、俺に訊いて来た。
「義時。お前はどうする?
俺らは、父さんと母さんの意思を
尊重するし、大賛成だ。
だが、お前も、来年には、
進学だからな……。
予定通り、こっちの学校に行くか?
それとも、そろそろいすみ市に
戻りたいか?
戻りたいなら、俺らのところに
来いや。一部屋用意してやるから……」
と。
俺は、
「えっ、いや……。急にこんな
話し聞いても……」と答えるのが
精一杯だった。
本当に、それが精一杯だった。
だが、兄嫁が、笑顔で俺に言った。
「義時君。それ、いいね。
義時君が来てくれたら助かるわ。
来年には、家族がもう一人増える
予定だから……。
義時君の若い力が必要になるかな?」
何か、本当に嬉しそうだった……。
俺は、何のことを言っているか
分からなかったが、多分、あの時には、
すでに、兄嫁のお腹の中に
隆子がいたんだ……。
結局、俺以外、父と母に反対する者は
いないようだった。
だから、俺も黙ってしまった。
そして、俺は、いすみ市の高校に
行くことになった。
兄夫妻との生活……、それらは滅茶苦茶
楽しいものに思えたから。
父がいないから、自由が
あるのではと……。
だから、いすみ市の高校に
行きたくなったのだ。
実際、正直言えば、高校なんて
どこでも良いと思っていた。
神奈川県立か千葉県立かの
違いだと考えていた。
3年間学んで卒業し、
卒業証書さえもらえればと
思っていたから。
ただ、兄夫妻との生活の方が、
両親との神奈川での生活より
魅力的だったのだ、中3の俺に
とっては。
そして、俺は、翌年の3月に、
いすみ市に戻ることになる。
話を戻す。
父と母は宣言通り、退院してすぐの
日曜日から、西町夫妻の教会に
通うようになった。
俺も最初の頃は数回ついて行ったが、
途中でやめた。
「まぁ、宗教は、もっと年とってからで
いいか。今は、勉強や趣味だな」と
思ったから。
あと、3人暮らしにはアパートが
狭かったし、
家庭菜園をしたいと父が言い出したので、
俺らは、父の知り合いの不動産屋が
売り出していた、住所は横浜市になる、
中古の一軒家を買って、引っ越した。
その一軒家には、結構の広さの庭が
ついていた。
だから、父は、毎日、畑仕事に
いそしむようになった。
銭湯のことはほぼ兄夫妻に任せていたが、
不動産の管理や不動産会社との
やり取りは、母が、電話や
慣れないパソコンを駆使して横浜から
担当することになった。
そんなある日、あれは、俺が中3の冬、
12月の寒い日だった。
急に母が、
「近くのスーパーで働くわ。
パート募集してたから」と言い出した。
「何で?」と思った。
別に、母が働きに行かないと
生活できないわけでもないし、
母には安静にしていてほしかった。
確かに、退院して、みるみる元気に
なってはいた。
でも、俺は心配だった。
いすみ市内に複数ある駐車場や
アパートからの収入がちゃんと
入って来るのだから、無理して働きに
出なくても良いだろう、そう思った。
だが、母は、
「一日中家の中にいるとボケるし、
不動産会社とのやり取りも
毎日あるわけじゃないから……」と
言って、パッパッとスーパーに連絡し、
面接に出かけ、そして、働き出した。
母の行動力、ことを進める速さは
スゴイ。
これは、兄に引き継がれたと思う。
父は、
「母さんが好きなようにさせてやれ。」
と言って、母を送り出していた。
そんな両親から、翌年の3月に離れて、
俺は兄の家に居候しながら、
いすみ市内の県立高校に通うことに
なった。
そして、高校を卒業してからは、
家の仕事、曾祖父の代から続く
銭湯の手伝いを始めて、兄の下で
働き出した。
銭湯ブームあったし、兄嫁が色々な
イベントを企画する人だったので、
お年寄りや子どもたちがいっぱい
来るようになっていて、
うちの銭湯は父の頃より大繁盛して
いた。
だから、結構忙しかった。
「今まで、家事もしながら、
こっちでも働いて……。
しかも子育てもしながら……。
この人スゴイな!」と、
兄嫁を尊敬した。
俺が、銭湯の方に入ったので、両親は、
銭湯の仕事からは完全に退くと
宣言して、父は趣味の畑仕事や
不動産の管理を担当。
母は、スーパーでの仕事が
面白くてしょうがないようで、
時々電話をかけてきては、
スーパーでの出来事を俺に話した。
「あのね、うちのスーパーに
あなたと同い年位の四国出身の
かわいい女の子がいるんだけど……。
お見合いとかしてみない?」と
言われたこともあったが、すぐに、
断った。
まだ、早いと思ったから。
それより、早く一人前に
なりなたかった。
でも、母の元気な声を聞いて、
俺も安心はしていた。
そんな平穏な日々だった。
今、実質、銭湯は兄夫婦と俺の仕事。
父は、祖父から受け継いだ駐車場や
アパートの管理を受け持ちながら、
神奈川で、ついには農園の一部を
借りて、農作業に専念している。
そんな両親だけど、月に2度は、
車でいすみにやって来る。
父は、「農園でとれた、無農薬の
良い野菜だぞ!」とダンボール一杯の
野菜を持って、母は母で、自分の働く
スーパーで安く買って来たと言う
お菓子を孫たちに持って……。
ちなみに、父は会う度に、黒くなって
いく。陽にやけて……。
孫たちと言うのは、兄夫妻の子ども。
兄は俺より9歳上。兄嫁も同い年。
二人は、高校で出会って、
大恋愛結婚。
そんな二人の子どもは、
姉が隆子で6歳、
弟は5歳の俊光だ。
22歳で、俺は叔父だ。
もう板についているはずだ。
2人と外出するのが、俺の楽しみ
でもある。
晴れていれば近くの灯台に連れて
行ったり、公園に行く。
雨の日は映画館に連れて行ったり、
ショッピングセンターだ。
たまには、兄夫妻を子育てから
自由にしてやりたいし、
……と言うより、二人と一緒に
いると俺も元気になれる。
(著作権は、篠原元にあります)