第84話

文字数 711文字

「証拠は、私のスマートフォンに残しておきますから」

 怯えた顔でモンスターママが首を振ります。ふいに、浅葱先生は決意を全身にみなぎらせ、「それから! あの子のことも! あの子は素行が悪いんじゃありません! 受験のストレスでほんの少し、叫んでしまっただけなんです」と言いました。

 あの子とは、モンスターママがうるさいからクラスを変えろと名指ししていた生徒の事でしょう。

「クラスの子達だってそれはわかっています。自分たちも同じ気持ちを抱えているのですから。だから、だから、もうやめてください。学校に、お任せください」

私に、と言わなかったのは、モンスターママが権威に弱いとわかったせいでしょう。一介の教師の自分の名前では、モンスターママには抑止力が足りないと判断したからです。

「わかりました。わかりましたから!」

 モンスターママは浅葱先生の話に被せて言いました。おそらく、聞く気がないのです。浅葱先生は迷っているようでしたが、やがてスマートフォンを持った手をゆっくりと降ろしました。間髪を入れずに、モンスターママが浅葱先生の手からスマートフォンをひったくるように掴みました。その時、演奏が終わり歓声の渦が巻き起こったせいで、講堂を走り出て行ったモンスターママに注意を払うものは、誰もいませんでした。

「あれで、よろしかったのですか?」

後ろから声をかけると、浅葱先生はそっと一人の生徒を指差しました。

 その後ろ姿は、制服の中で身体が泳いでしまうほど細く、俯いて両耳を手で塞いでいます。

「佐々くん。あの女性の息子さんだ。彼も僕の、大事な生徒の一人なんだ……」

こぼれ落ちていく砂を見るような目で、浅葱先生はその男子生徒を見つめていました。
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