第100話

文字数 1,486文字

「いや、黒炎は特別さ。紅が自由に動けるのは、私が鏡に入っている時と、精命をあげた時だけ。話をするくらいのことはいつでも出来るけれどね」

「でも……、他の人の影は話したりもしないよね?」

「私のおばあちゃんも影と話せたよ。こういうのも隔世遺伝っていうのかねえ。私はアメリカ人と結婚したから、もしかしたらアイラには受け継がれないかと思ったけど、関係なかった。アイラのパパはハーフだし、ママはフィンランド人なんだから」

 桐子は孫娘を慈しむように見つめ、やがて瞼をパチパチとまたたかせると、「アイラ」と呼びかけました。

「そろそろアイラにも話しておこうかね。私も私のおばあちゃんに聞いた昔話なんだよ。影を操る者にだけ、口から口へ一世代おきに伝えられてきた話。だからアイラのお父さんもお母さんも知らない話。いいかい? よく覚えておいておくれ」

「うん……」マスターは小さな少女のように、こくりとうなずきました。

「昔々、人里離れた山の奥の、もっと奥のずーっと奥に湖があった。湖の水は澄んでどこまでも見通せたが、それでも湖の底は全く見えないほど深かった。風が水面を撫でても、湖にはさざ波が立たず、雨がふっても波紋は浮かばないので、いつも美しい水が鏡のように満ちていた。

ある時、人の国で戦が起こり、命からがら逃げてきた女の戦士が、森に迷い込みこの湖に辿り着いた。女戦士は疲れた体で湖に体を乗り出し、顔を湖の水につけてごくごく飲んだ。水は女戦士の喉の渇きを癒すばかりか、体の傷も疲れもすっかり消し去った。女戦士は湖を覗き込み感謝を述べた。そしてあまりにも美しい湖に魅せられて、褒めたたえた。
するとね。湖から水の体をした鬼が出てきたの」

「鬼?」

「鬼神かもしれないね。だけど自分で鬼だと名乗ったそうだよ。体は美しい水で形づくられ、その水は絶えず巡り光を反射しそれは美しかったそうだよ。

 そして鬼神は、『この湖は鬼の鏡だ。鬼の持ち物を勝手に飲んだな』と言った。
 女戦士が水の鬼をまっすぐに見て、『どうせ戦で落とす命なら、美しい水神様に捧げとうございます。もしも私の体で不思議な水のお代のお釣りがくるならば、どうぞ水神様のお力で戦をおさめてください』と答えると、鬼神は馬鹿なことをと笑った。

 『お前の体などで精命の湖の対価になるものか。それに命などもらってもつまらぬ。しかし差し出された供物をただ断るのもやはりつまらぬな。さて……。
おお、そうだ。この湖の水は人の目に見えないものも人の心の中の秘密も映し出す。湖の中におればなんでも見えなんでも分かるが退屈なのだ。
お前に湖の鏡の力を宿した二枚の鏡を授けよう。善をなすなら白の鏡に、悪を為すなら黒い鏡に入るがよい。影がお前の望みを叶えるだろう。影を制御できるかどうかはお前次第だがな。白の鏡に善が、黒の鏡に悪が満ちるまで楽しませてもらうぞ。

しかし善と悪が満ちたら、もう鏡に入っていてはいけない。善と悪が満ちた時、二枚の鏡を見合わせると、鏡の中の人間と影は入れ替わってしまうぞ。ゆめゆめ忘れるな』そう言うと水がはじけるように消えてしまった」

「かぁごめ、かごめ……。白い精命(まな)と黒い精命(まな)をいっぱいに、表と裏を見合わせりゃ、籠の中の鳥と影とが入れ替わる……」マスターが歌うように言うと、桐子は微笑んだ。

「いい子だね。その歌、覚えていたのかい? アイラと紅がかごめかごめをして遊んだと言っていたから、替え歌にしてまだ小さいアイラに覚えさせたんだよ。二枚の鏡を合わせないようにね。私とアイラと紅の三人でよく歌ったの、覚えてないかい?」

「そんなことあった? 覚えてない……」
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