第１３７話

「行こう！」一来はマスターの手を引いて走り出しました。

「きゃっ」

　驚いたマスターがらしくない声をもらしました。
　奏多の影も続いて走ります。私はサカイ君のお母さんが乗っていた自転車を強く蹴ってハンドルを曲げて壊しておいてから、後を追いかけました。

「ちょっと、フラーミィ！　一来が噛まれちゃったじゃないの！　なにもたもたしていたのよ」

　サカイ君のお母さんが見えなくなったところで立ち止まったとたん、マスターの叱責が飛んできました。中腰の姿勢で太ももに手をつき、肩で息をしながらも、下から睨んできます。

けれど、マスターに言われるまでもなく、私の失態です。

「アイラ、僕なら大丈夫だから。助けてくれてありがとう、フラーミィ」

「いいえ、一来。助けるのが遅くなり、申し訳ございません」

「ちょっ、ちょっと、なにほのぼのしちゃっているのよ。私は怒っているのよ！　なぜエナンチオマーなんかに遅れを取ったの？」

　マスターは折り曲げていた腰を起こすと、頬を膨らませ両手を腰にあて仁王立ちになりました。マスターも私らしくないと感じていたのでしょう。言葉とは裏腹に、心配そうな目で私を覗き込んでいます。

「そういえばそうでしたね、アイラ」

　あの時感じた違和感について、言うべきか言わざるべきか？　迷って言葉を切りました。

「なんなの？　何かあるなら早く言いなさいよ」

私の逡巡に気が付いたマスターが追及してきます。あまり心配はかけたくありませんが、知らなければ危険を招くかもしれません。
　私は小さくため息をつきました。