第58話

文字数 734文字

 「唄ってあげても……いいわよ?」

マスターは視線を宙に泳がせながら、今度は腕を組みます。ひと呼吸して、稜佳を窺いました。

 「えっ、本当?!」稜佳が叫びました。「もう嘘でした、っていっても遅いよ。もう断れないよ! もういいって聞いたからね!」 

 稜佳はマスターの組んだ腕を引っこ抜いて両手で握り、ぶんぶんと上下に揺さぶります。

「お、おおげさねぇ。」

 湧き上がる笑みを隠そうとして、マスターの唇がとがります。とがった口元を隠そうとして、顎を上げ、上から稜佳を見下ろす「ツン」な顔で続けました。

「……だけど条件があるわ」

「なに? なんでも言って! またファミレスのデザート食べ放題? それとも焼肉食べ放題? 思い切ってホテルのブッフェ? ええっと、それとも……」

 稜佳がマスターの手を握りしめたまま、矢継ぎ早に聞きました。

「ちょっと! なんで食べ放題ばかりなのよ。そうじゃないわよ。あのね……ええっと……」

マスターが言いよどむのは珍しい、と考えつつ、私は小さな白い壺を手に持って、ソファに膝立ちになりました。

そして白い壺に入ったメープルシロップを自家製パンケーキに、皿の二十センチほど上から糸を細くひかせて、まんべんなくかけていきます。

小さな白いミルクピッチャーから、黄金色の液体が光を放ちながら、流れ落ちる様は美しく心躍ります。隣の席でこんなに面白い出来事が繰り広げられていなかったら、倍の時間をかけてメープルシロップをかけるところです。

名残惜しい気持ちになりつつも、メープルシロップの入っていた小さなピッチャーをテーブルに置きました。フォークに手を伸ばしつつ、横目でマスターの様子を観察します。

「なになに?」稜佳はアイラの手を握ったまま、目を輝かせて返事待ちの態勢です。
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