第170話

文字数 837文字

一来にマミを付けておいたのは正解でした。とはいえ、蜘蛛のしおり糸は細い。日が落ちればしおり糸を辿るのが難しくなります。

彌羽学園に着くと、すぐにしおり糸の始まりを探しました。マミが糸を付けるとすれば、校門からでしょう。彌羽学園の門柱は御影石の鏡面仕上げです。赤茶の四角い柱は姿を映せるほど磨かれつるんとしています。マミの糸もすぐに剥がれ落ちてしまいそうです。一瞬ヒヤリとしましたが、しかしよく見ると柱に掘られたレリーフの凹凸に絡めて張られたしおり糸が見つかりました。

ざらついた石にしっかりと張り付いている糸に、影の体をからませてロープウェイのように全速力で滑ります。早く、早くと心が急く。影は「嫌な予感」などというものを感じません。先ほど紅霧に披露した予想はおそらく正解でしょう。

――一来が危ない……

夕陽に光る細い糸に導かれ、時と戦う。もっと早く走れるはず、という感覚が焦燥感を煽ります。西の空に残っていたオレンジ色が、刻一刻と色を失って褪せていきます。

 キラル世界のブラックホールにマスターが落ちそうになったとき、私は光がない場所で無理に影の腕を伸ばしました。あの時、千切れた影は永遠に失われてしまいました。そしてその分、劣化が生じたのです。私以外には気が付くほどではない、ほんのわずかな劣化であるにしても。

――わずかな……。しかし今の状況の中では決定的な劣化に感じますね

私は軽く頭を振って、間に合わないかもしれない、という忍び寄る不安を振り払いました。曖昧な不安にとらわれるなど、愚かなことです。

 しおり糸は、一来がいつも使うバス停からバスに乗ったことを示していました。バス停で一度途切れた糸は、車道に千切れて落ちています。

――マミはバスから糸を流したのでしょうね。

 風に流され、途切れながらも糸は続いていました。やがてバスを降りたのでしょう。たどりやすくなったしおり糸が、一来の足取りを再現してくれます。一来は徒歩で歩道を右へ左へ、ときに道を渡りながら進んでいました。
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