第62話

文字数 1,233文字

「ちょっと待って、アイラ!」一来はすばやくマスターに攻撃の矛先を向けました。「僕はドラムなんかやったことないからって断ったのに、アイラが無理やりやらせているんだろ?」

 これが問題の二つ目だったのです。バンドを組むなら、少なくともヴォーカル、ギター、ベース、ドラムは必要です。ヴォーカルはアイラ、ギターは稜佳と決まっていますが、ベースとドラムがいません。

「ベースはなくてもなんとかする。でもやっぱりドラムは欲しいな」と言った稜佳に、マスターが「ドラムは一来がやればいいでしょ」と勝手に決めました。

 一来は慌てて「ドラムなんて触ったことないよ!」と訴えましたが、マスターと稜佳は聞こえないふりを決め込み、勝手に浅葱先生にメンバー登録をしてしまったのです。メンバー変更の締め切りがとっくに過ぎてしまってから登録の事実を告げられた一来は、ドラムを引き受けざるを得なくなってしまったでした。

 とはいえドラムは未経験なので、自然と練習は過密になり、今日も最終下校時刻まで粘って練習をして遅くなってしまったのです。
 それにしても先ほどまでの稜佳の一来への追い込みは面白かったですね……。私はしばし、先ほどまで部室で行われていたドラム練習の記憶にひたりました。

「一来、ベースがいないんだから、そこはリズムをしっかり刻んで!」

 バンドマスターの稜佳の叱責がひっきりなしに飛びます。練習が始まってわかったことですが、稜佳のギターの腕はなかなかのものでした。ベースがない分は、自分のギターでカバーするというだけのことはあります。

「フラーミィ、一来に合わせなくていいから、思いっきり叩いて。体で覚えさせて!」

『承知いたしました』稜佳の指示通り、思うがまま叩きます。私に後ろから抱きかかえるような格好で、一緒にドラムを叩いている一来は、私がドラムを叩くたびに腕をあちらこちらに引っ張られ、足元にあるペダルを踏むたび、両足も私に踏まれています。

「なんで男にバックハグされなきゃいけないんだよ」

 一来の抗議は聞き流して、一来のマナの香りを吸い込みました。とてもいい香りですが、連日手も足も容赦なく引っ張られ踏まれているせいで、体中が痛むのでしょう。マナの香りに交じって湿布の匂いがするのが残念です。

「だって一来は一人でドラム叩けないんだから、仕方ないじゃない」とマスターが答えると、「うん、仕方ない」とすかさず稜佳が同意しました。
『私は楽しいですよ』私はやさしく微笑みました。『それに一来への借りもドラムのコーチングで精算できますし。一石二鳥と言うものです』

 実際、一来の後ろから抱きついて手を取り一緒にドラムを叩くのは、人間を操り人形にしているようで、なかなかおもしろい体験でした。激しく叩けば叩く程、一来の精命の香りが立ちのぼってかぐわしかったですしね……。

 一来の精命の香りを思い出し、一来の髪を一本、拝借しようとすると、「お行儀が悪いわよ、フラーミィ!」とマスターの叱責が飛んできました。

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