第147話

文字数 629文字

 小走りになって冬矢(とうや)が近づいてくるのを見届けて、「じゃあ私はこれでいいかな?」と浅葱先生は校舎に戻っていきました。

冬矢とすれ違うときに、こちらを手で示しながら紹介するように言葉を交わしています。エナンチオマーの冬矢は跳ねるような足取りで小走りに駆け寄ってきました。

「やあ、俺に用があるんだって?」
「はい。あの、後夜祭の時はどうもありがとうございました」

「あの時の子かぁ。ライブ、楽しかったね」
「あっ、はあ、あの……、はい」奏多は明らかに口ごもりました。どうやらリアル世界では楽しくライブを観た訳ではなかったようです。

 しかし、考えてみるとエナンチオマー(鏡像異性体)は別の人物なのだから、奏多がお礼を言いたいから会いたい、というのはおかしな話です。リアル世界に戻ってお礼を伝えれば済む事です。何のために会いたかったのでしょう? 奏多の顔を盗み見ると、真剣な目つきで冬矢を見つめています。

ーーもういい? どんどん扉が閉まっていくよ! 早く帰ってきて!

 その時、稜佳の悲痛な叫び声が、一来の胸元から響いてきました。
「どういうこと?」通話を聞きつけた冬矢が怪訝な顔をして尋ねてきます。

「あんたには関係ないよ。奏多、この坊やに会えたんだから、もういいだろ。さあ、帰ろう」紅霧が奏多の腕を強引に引っ張って歩き出しました。

「待って、扉ってなに? 呼び止めたのはそっちだろ。それ位教えてくれてもいいでしょ?」
 冬矢が追いかけてきて、奏多の反対側の腕を掴んで引き止めました。
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