第154話

文字数 645文字

 首をねじって下を見下ろすと、狭い扉からエナンチオマーの冬矢が体をねじ込んでいます。

どこにそんな力があったのでしょう? 冬矢の制服の中で泳いでしまうほどの細い四肢を思いだしました。酒井君のお母さんの指がキラルの扉にかかりました。指に力がこめられ白くなります。扉をこじ開けようとしているのです。

冬矢は扉をすり抜けると扉を引っ張っていた手を離しました。キラルの扉はバンッと大きな音をたてて閉まり、酒井君のお母さんの指が扉に挟まってちぎれました。指は地面におちていきながら、砕けて飛び散りました。エナンチオマーは人間ではなく、鏡像なのです。

扉の向こう側に生まれたブラックホールが、キラルの世界を飲み込み始めました。キラルの扉もあめ細工のようにねじれ、いとも簡単につぶれて吸い寄せられていきます。

 扉が飲み込まれるとブラックホールは威力を増し、勢いよく奏多の部屋中のものを吸い込み始めました。

最初は酒井君のお母さんの指だった鏡の破片。そして机の上のペン立てが倒れ、シャープペンシルやカラーペンが飛んで行きます。もふもふとした毛がついたスリッパが床の上を転がりながら扉に引き寄せられていきました。

 はじめは軽い物から、そして徐々に重さのあるものを。部屋の中身がなくなると、ついに登っている足場がガタガタと揺れはじめました。

 エナンチオマーの最後の生き残りになった冬矢が、うめき声をあげました。ブラックホールが空気ごと空間を吸い込んでいく風に抵抗しながら、私の下に積まれている足場を登ろうとしています。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み