第116話

文字数 752文字

「おおっと」と体をのけぞらせてぶつからないようにしながら、控えめに稜佳の肩を支えた人物は……。

「浅葱先生!」
「識里さん、ずいぶん急いでいるみたいだね」

「あー、はい。すみません、急いでいるんです。いいですか?」と、稜佳が強引にドアをすり抜けようとすると、浅葱先生は体を横にして道をあけました。

「じゃあこのプリント、識里さんに頼むつもりだったんだけど、一来君に頼むことにしようかな」

 手に持った紙を、二人の背中にむかって振りました。どうやら後夜祭の時の決算書類のようです。チケットは販売していないし、音響も学校の設備を使用したので、形式上の用紙ですが、書き込む欄もあり多少の時間稼ぎにはなりそうです。

 「センセー、ありがとー!」稜佳が振り返って手を振ると、浅葱先生は笑いながら、プリントを持っていない方の手を振ってこたえました。浅葱先生の影がこっそりと本体よりも0.5秒長く手を振っていたのは、私だけの秘密ということにしておきましょう。

『そういえば、稜佳、いつの間に浅葱先生に一来の事を話したのですか?』

「え? ううん。何も言ってないよ。そういえば、なんで一来君より先に帰りたいと分かったんだろうね」稜佳は斜め上を見ながら、不思議そうに首を傾げました。

――なるほど、どうやら浅葱先生は思いのほか生徒の事をよく見ているようですね。一来の様子がおかしいことに気が付いていた浅葱先生は、マスターと稜佳が一来の事で何かしようとしていると推察したのでしょう。そのため一来を引き止めて、急いでいる二人を手助けしようとしてくれたのです。文化祭の後、浅葱先生は本来持っている繊細さを、生徒達のために真っ直ぐに発揮しているようです。

――浅葱先生の影が自慢げに0.5秒長く手を振ってくる訳ですね。

 口の端から笑みがこぼれました。
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