第68話

文字数 1,145文字

 モンスターママを上から見下ろす浅葱先生の姿は、空気との境目にもやがかかり、黒く透けていることに、一来がいたら気が付いたかもしれません。そして黒ダイヤのような輝きがこの瞬間、わずかに濁ったことにも……。 

 黒いもやに気が付いていない稜佳は、モンスターママと浅葱先生の間に何度も視線をさまよわせています。せわしなくまばたきをするのは、目の前にいる浅葱先生のいつもとはまったく違う態度に違和感を抱いたからでしょう。
 浅葱先生はすでに影に取って代わられています。

――紅霧の仕業ですね……。いつの間に浅葱先生に接触していたのでしょう?―― 

 浅葱先生の影はモンスターママの腕を取るとゆうゆうとドアまで歩いて行き、廊下に追い出し、ぴったりと戸を閉めてしまいました。

「さあ。続きを始めよう」浅葱先生は本物よりもよほど晴れやかな顔で、振り返りました。
 音響と照明の打ち合わせが終わり職員室を出ると、モンスターママは腕を組んでドアのすぐ外で待ち構えていました。

「終わったの?」と聞く声は鋭く尖っています。どうやら廊下で待っている間、蟻が巣穴から次々と行列して出てくるように、どす黒い感情を生み出していたようです。

「は、はい」稜佳がこわばった顔でうなずきました。
「お先にありがとうございました、とかお礼も言えないのかしら、まったく。あなたたち、何部なの? 顧問は?」
「軽音楽部です」

 稜佳の顔はモンスターママに向けられていますが、足のつま先は横を向いています。つまりこの場から早く逃げ出したいのでしょう。
 一方、正面からモンスターママに向き合って腕を組んでいるマスターは、ひと言も発するつもりはないようです。

「顧問は浅葱せ……」
 はああああっとモンスターママがこれ見よがしにため息をつき、稜佳の返事をさえぎりました。なんと下品な振る舞いでしょう。私は影ながら眉をひそめました。

「そうだと思ったわ」と言い捨てて、モンスターママはドアに手をかけました。
 私はつい「うっかり」伸びをして、手を持ち上げてしまいました。そこへ「たまたま」、モンスターママがつっこんできて、足をひっかけてしまいまいした。

「きゃっ」思いのほか可愛らしい声をあげて、モンスターママはつんのめって、転んでしました。まあ、影の私とて伸びをしたくなることもあるというものです。ここはお目こぼしいただきましょう。

「大丈夫ですか?」

 稜佳が差し伸べた手を無視して、モンスターママは無言で立ち上がると、勢いよく職員室の中に突進していきました。

『アイラ、ちょっと見てきてもよろしいですか?』 
「構わないわよ。だけど私は先に帰ってる。行くわよ、稜佳」

 稜佳は私を見つめ両手を合わせて(浅葱先生を頼んだよ)と、口パクで頼むと、マスターを追いかけて行きました。
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