第114話

文字数 945文字

「鏡の中の子、意識があるのね」隠れて様子をうかがっていたマスターが、呟きました。

『そうですね。一来の精命を流し込んでいるので、鏡の中の本体にはダメージはないのでしょう』

 紅霧は唇を指でこすって考え込んでいましたが、何か思いついたように鏡にグイっと顔を近づけました。

「よし! それじゃあ私があいつらをやっつけてやろうか?」
「そ、それはマズいよ。紅霧は目立つし」一来が慌てて口を挟みます。

「人の噂も七十五日、なんて言うけどさ。もうとっくにその期間は過ぎているんだろう? 放っておいても何もかわらないんじゃないかい?」

「まあね……。だけど結局、誰でもあるし誰でもないから止めようがない。一人を止めても無駄なんだ」と少女の影が答えました。

「ああ、まどろっこしいねえ……」

紅霧が焦れたように組んだ足を揺らすと、つられて上半身もゆらゆら揺れました。

「それじゃあ……」

一来がナイフを取り出します。指先を少し刺すように切ると、ひと筋の糸を引いて血が鏡に滴りました。瞬間、マスターが反射的に飛び出しそうになりました。

『おっと、失礼いたします、マスター』

 飛び出そうとしたマスターを抱き留め、口を手でふさぎます。マスターはモガモガと手の下で抗議していますが、ここで飛び出しては詳細がわかりません。

「アイラちゃん、一来くんのことが心配なのはわかるけど、ここは我慢だよ。あの子、訳ありみたいだもんね。事情を調べないと」稜佳がマスターの耳もとで説得します。

「べ、別に心配なんかしてないわよ」

マスターは、強気な発言とはうらはらに、私の手を力なく振り払いました。

「アイラちゃん……」

 稜佳の心配そうな声が背中を追いかけましたが、マスターは気が付かないふりをして、一来と紅霧に背を向けました。いつもよりも細く見える肩に、ざわめく木々の音が降りかかります。

マミが髪の毛の中から這い出してきて、音もなく肩に降り頬に前脚をかけると、マスターはほんの少し首をかたむけて、マミに頬を寄せた。マミの瞳が玉虫色のような緑に色を変わる。蜘蛛の目玉が単眼という仕組みのために、反射して光の色を映しているだけなのだとしても……、慰めに満ちているように見えました。

「相談してくれなかったね、一来くん……」稜佳の独り言が風にさらわれていきました。
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