第89話

文字数 1,090文字

 放課後、マスターと稜佳は一来のあとを追っていました。二人が歩いている道路は、車道と歩道が白いラインで仕切られているアスファルトです。しかしその道の先に目を向けても、一来の姿は見えません。

 道の両脇には和風、洋風、プロバンス風と統一感のない外観の住宅が並んでいて、バラバラな印象なのがかえって個性を打ち消しています。どこにでもありそうな住宅街を、マスターは迷うことなく進んでいきます。しばらくして、ふいにピタリと歩みを止めました。

「切れてる」
「あ、本当だね」

 稜佳がマスターの手から垂れて揺れている糸を触りました。とたんに糸が手にくっついてしまい、稜佳は慌てて手を振り回しました。しかし余計にあちこちに絡みついてしまいました。手を空中でブンブン振り回す稜佳を、マスターは横目でチラッと見て肩をすくめました。

「何かがこすったかぶつかったかして、糸が切れたのね。続きは……、あそこね。キラキラしている」

マスターが指さした先には、よほど気を付けなければ見えない細い糸が伸びていました。

「マミちゃん、やるねえ」稜佳が感嘆の声を漏らすと、マスターが得意げに胸を反らしました。

「クモが歩くときに出す糸の事を、しおり糸っていうんだって。マミちゃんのすごさ、稜佳にもようやく分かった? どう? 一来にくっついて、糸を辿れるように残しておいてくれるなんて、マミちゃんにしかできないわよ。 ねっ、見直したでしょ?」

マスターはにわか仕込みの知識を講釈して、稜佳にしつこく同意を求めました。

「うん、まあ……」

 稜佳が仕方なさそうに頷くと、マスターは満足して途切れた糸の先を探す作業に戻りました。しおり糸の切れ端が垂れ下がっている場所を見つけると、二人は辺りを見回しました。立ち並んでいた住宅の列が途切れ、藪のような花や木の植え込みに代わっています。植え込みの先には、腰ほどの高さの低い門があり、ふじみ公園と銅製のプレートが見えました。もともとはピンク色だったはずの看板は、すっかり青緑色の緑青に覆われているところをみると、どうやら古くからある公園なのでしょう。

「あっ、いた……」稜佳はマスターを引っ張って、物陰に体を潜めました。「ほら、公園に走って行くよ!」

「なんで私がコソコソしないといけないのよ」マスターは不満そうにしながらも、隠れた物陰から顔を覗かせます。

「……?!」

マスターは声にならない悲鳴をあげ零れ落ちそうなほど目を見開くと、振り返って稜佳にも見てみるように無言で促しました。マスターと場所を代わり、稜佳も一来の様子を覗き見ると、同じように息を飲んで、すぐに顔を引っ込め、顔を見合わせました。
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