第56話

文字数 924文字

「ブラック&ローズのネックレス持っていたんだから、ウ・ィ・ス・ハ・ー・トさんも府川虎のこと、好きなんじゃないかなー? って思って」

稜佳はウィスハート、という単語を区切ってゆっくりはっきりと発音しました。理由はわからなくても、握った弱点は容赦なく攻撃するつもりのようです。

(なかなかの勝負感ですね)

 ガトーショコラをフォークで口に運びながら、少々感心しました。しかしすぐに、口の中でとろけるこの濃厚なチョコレートの風味に意識が逸れます。

――さすがベルギー産とうたっているだけありますね……。しっとり、どっしりした生地の触感とよく合っています――

 甘くなった口の中を紅茶ですっきりさせ、香りを楽しみます。

――さて、マスターはなんと返事をするでしょうか?――

 興味深く展開を見守ります。稜佳はウィスハートの名前を出しましたが、その名にかけて頼んだ訳ではありません。となると断る選択肢は残されているかもしれませんが……。

 しかし私は稜佳に勝算があると予測しました。マスターはギタリストの府川虎が好きという訳ではありませんが、彼が所属しているゴシックメタルバンド、Death Crowが好きなのです。
 ゴシックメタル、略してゴスメは日本のメタルバンドには珍しい。今のところDeath Crowが初めてにして唯一の本格的なゴスメタルバンドと言ってもいいほどです。ゴスメが道徳よりも哀しみや暗黒の美意識を優先させるので、生真面目な気質の日本人には受け入れにくいのでしょう。しかしその状況一変させたのが、Death Crowなのです。

 Death Crowは、その名の通り鴉のような真っ黒な衣装に身を包み、西洋の墓地をモチーフにした舞台のようなセットで、独特の世界観を創り出しました。
 さらにボーカルの火野は男性とは思えないような高く力強い高音のミックスボイスで、悲哀に満ちた歌詞を切なく歌い上げ、デビューすると同時に一気にメジャーなバンドに駆け上がりました。

 「府川虎は別に好きじゃないけど。……ええっと……、Death Crowの歌を演るってことなの?」

 「そう! そうなのよ。私がギターを弾くから、アイラちゃんが歌ってくれたらビジュアルも百人力! お願いぃ」
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