第73話

文字数 960文字

「そうだ! きっと何か他の出し物を観に来たんだよ!」

うなだれていた一来が、ガバッと顔をあげ、同意を求めるように三人の顔を順番に見ました。どうやらあまりステージを見に来て欲しくないようです。

(なぜでしょう? 一来のドラムはかなり上達しましたし、そもそも私も一緒に叩くのですから、演奏に心配はいらないはずですが)

 疑問がわきましたが、事実は曲げられないので、はっきりと否定します。

『先ほど稜佳も言っていましたが、それはありません。あれはただの黒い服、というよりも……』

「そうね、ゴスメファッションね。それに、あれを見て。」マスターが一人を指をさしました。「Black & Roseのアクセサリーよ」

 マスターの指の先に立っている少年の首には、銀色の鎖のネックレスが二重に巻かれていました。そしてところどころに黒い薔薇や王冠のモチーフが付いています。さらに黒い服の集団をあらためて見てみると、やはりBlack & Roseのアクセサリーを付けている人が目立ちます。

「間違いなく、私達を観に来た人達ね」
「うぁあああぁ」

 マスターの人差し指を目で追った一来は、黒い服の集団を見つめていましたが、自分の服を見下ろし突然叫びました。一来が身につけている衣装も彼らとほとんど変わらないのです。つまり自分もゴスメファッションに身を包んでいるということを思い出したのでしょう。

 一来の短髪の髪はハードジェルで立たせて固められ、黒いシャツに黒い革のパンツを稜佳によって、お仕着せられています。仏像のように穏やかな丸顔にゴスメファッションは、残念ながら似合っているとは言いがたいものですが、舞台奥に位置するドラマーは、スポットライトは当てずに逆光気味にして影を作り、客席からはほとんど見えないようにする予定なので、問題はありません。しかし一来は着慣れないファッションが落ち着かないのか、手渡された衣装に着替え、稜佳にヘアメイクをほどこされてからずっと、部室内を歩き回ったり呻いたりとなんともせわしない。

(なるほど、はずかしいのですね)

 ようやく合点がいくと喉の奥からくっくっと笑い声がもれ、肩が上下してしまいます。抑えられないジャスミンの香りが部屋中に立ち込めると、一来が香りを吹き飛ばすように盛大に頭を振りました。相変わらず一来はおもしろい。

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