第135話

文字数 824文字

「あら。奏多ちゃん。まだ部活の時間なんじゃないの? 一緒にいるのはお友達……?」

 自転車に乗った女性がすれ違いざまに声をかけてきました。幅広のガウチョパンツに腰まであるふわっとしたチュニック。完全に体型をカバーした服装です。わざわざ自転車から降りて話しかけてきます。

「あ……。サカイ君のお母さん。はい、今日の部活は休みだったんです」

奏多の影が口から出まかせを言ってごまかします。影は黒目も揺らさずに嘘をつく。目的のためには、なんの躊躇も罪悪感もなく嘘を吐くところは、人間と私達影の違いでしょう。

「でもさっき、これから部活だって言っていたじゃない……?」

 サカイ君のお母さんとやらは、不審そうな表情で言いました。どうやらこのご婦人は、先にキラルの世界に来ていた奏多とも話をしていたようです。
 もともと社交的とは言えない奏多の影は、押し黙ってしまいました。サカイ君のお母さんは奏多の影の顔をのぞき込みました。探るようなその視線から逃げるように目を逸らし、影は一歩あとじさりました。

 誤魔化そうと一来が口を開きかけた時、エナンチオマーであるサカイ君のお母さんが、弾けるように笑いだしました。笑って笑って笑って……、どこまでも唇が横に引き伸ばされていきます。頬を裂いて耳の近くまで広がった真っ赤な唇は不気味で、笑顔にはとても見えません。

「そうか……、わかったわ。あなた達、リアルの住人ね? どこから来たの? ここは危ないから、早く帰った方がいいわよ。ほら、一緒に行ってあげる」

「いえ、ちょっと用事があるので……、ほら、行こう」

 一来が奏多の影をかばうように割って入り、背中を押して促しました。

「待ちなさい! 扉はどこ?」

サカイ君のお母さんは、先ほどまでの猫なで声をかなぐり捨て、ひび割れた声で怒鳴ると、支え持っていた自転車を地面に投げつけ、一来に掴みかかってきました。一来の両方の二の腕をつかみ、激しく揺さぶりながら問い詰めてきます。

「言え、扉はどこだ!」
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