第93話

文字数 773文字

「お兄ちゃーん、さっきはありがとう! バイバイ!」

 ふいに聞こえてきた甲高い子供の声に、思考が中断しました。先ほど橋から落ちそうになっていた少年が、手を振っています。一来が笑顔になり、頭の上で大きく手を左右に振りました。

「今度からは気を付けるんだぞ!」

 一来は片手をメガホンにして叫び返しています。少年の姿が見えなくなると、ようやくバイバイと上にあげていた手を降ろしました。すると、それを待っていたかのようにマスターのデスボイスが響きました。

「はあ? 気、を、つ、け、ろ? ばぁっっっかじゃないの? 気を付けるのは、一来でしょうがあっ!」

青い瞳が怒りに燃えています。マスターは両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、息を大きく吸い込みました。

「紅霧にっ……。見惚れてるんじゃないわよーっ!」

――え、そっちですか――と思ったのは、私だけではないようです。

 一来が口を半開きにして首を傾けました。顔に困惑の2文字が浮かんでいます。人は理解できないものを聞いたり見たりすると、怯えるものなのかもしれません。ジリ、ジリ、と後ずさりし始めました。
 マスターはプイッと勢いよく踵を返しました。金色のツインテールが風をきり、ヒュウッと宙を舞います。

――危ない!――

 マスターと一来の間に立っていた私が、すばやくかがんで金色の一閃をかわすと、私の頭の上でピシッと一来の頬が鳴る音がしました。

『…………ええと。では一来の言い訳をうかがいましょうか?』

 私は何事もなかったかのように、お二人を交互に見てにっこりほほえみました。
 マスターは胸の前で腕を組んで私を睨み、一来は金髪の鞭のせいで赤くなった頬に手で押さえた情けない顔で私を見返しています。

『あははっ!』

 思わずもれてしまった笑い声に、お二人の視線が厳しさを増しましたが、仕方ありません。

――やはり人間はおもしろい――
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