第144話
文字数 1,527文字
奏多はしばらくプールを見ていましたが、ため息とともに肩を落として、ふいにくるりと体を回し、私達の方に向かって歩いてきました。とはいえ、私達に気がついているわけではなさそうです。足元ばかりみていた奏多は、通路の真ん中に立ちはだかっているマスターとぶつかりそうになって、足を止めました。
「えっ? 一来さんと紅霧さん、ピュリュも……どうしてここに?」
ようやく顔をあげた奏多が驚いた声をあげます。そして私とマスターを順番に見て、「ええっと……」と困った顔をしました。
私達は奏多の姿をした影と話しているので、知り合いのようなつもりでいましたが、奏多にしてみれば初対面です。ごく自然な反応でしょう。
ーーよかった。会えたんだね。
胸ポケットから稜佳の声が聞こえてきました。
ーー急かすようで悪いけど扉がまた閉まったよ。急いで戻ってきて!ーー
稜佳の声音に焦りがにじみ出ています。一来も感じたのでしょう。いつもよりもやや早口で話しかけました。
「奏多。ここにいては危ないんだ。何があるかわからないし、奏多が開けた部屋の扉が閉まったら帰れなくなる。だからこの人達は一緒に奏多を探しに来てくれたんだ」
ピュリュが黙って奏多に手を差し出しました。一緒に帰ろう、という意味のようです。奏多はその手を取らずに、後ろ手に手を組んで体を揺らしながらほんの数歩の範囲をさ迷いました。
「そうなの? ボクはただ暇だったから、ちょっと外に出てみただけだったんだけど……。やっぱりココって鏡の中の世界なんだね……」
「奏多が扉を開けてしまったので、一時だけ、鏡の世界に時間が流れているのです。扉が閉まったら、ここはおそらく時間が閉じてブラックホールに飲み込まれます。急ぎましょう」と説明を加えました。
「ここが消えてしまうのか……? 鏡の中のボク、幸せそうだったのになあ……。あいつらともあんなに仲良さそうで……。しばらく見ていたけど、ボクの事、誰もキズトンなんて呼んでなかった……」目に涙を浮かべてつぶやきます。
「ボク、鏡の世界に生まれたかったな」
「奏多」ピュリュが切なそうに奏多を見つめました。
「帰りたくないな……」奏多は手の甲で目をこすります。
「……ごめん。俺……、何も変えられなかった」
ピュリュは奏多を抱き寄せました。木漏れ日が降り注ぎ、ピュリュのライラックの風が、奏多の髪を慰めるようになでます。チラチラとまたたく光の中で抱き合う二人は、仲の良い兄妹か恋人同士のように見えます。
見守っていたいのは山々なのですが……。
「ねえ、ちょっと。感傷に浸るのは後にして。 時間がないの。帰るわよ。この世界は蜃気楼みたいなもので、現実とは違うの」と、マスターが急かしました。
はぁ、とため息がもれました。
――とても無粋ですが、残念ながら今は正しいですね。
「さあ、行こう」ピュリュが奏多の手を取りました。
「あっ、待って。あと一か所だけ。ボク、会いたい人がいるんだ。会うまで帰れないよ……」
ーーなに言ってるの? そんな余裕ない。扉は今、五十一㎝。猶予はあと九センチしかないよ。
稜佳が電話の向こう側から急かします。目の前で扉が閉まっていくのを見つめているのですから、焦燥にかられるのも当然でしょう。
「で、でも。もう二度とここへは来られないんでしょ……?」
奏多は潤んだままの黒目がちな瞳で、マスターと一来を懇願するように交互に見つめます。
根負けした一来が「ええ、ウッホン」と咳払いしました。
「ウィスハート……さん……、あの……」そして一来もアイラを見つめる。
「はあぁ……。もう! 会えば帰るのね? 迷っている暇はない。行くわよ!」
金色のツインテールが翻って、走り出したマスターの後ろにたなびきました。
「えっ? 一来さんと紅霧さん、ピュリュも……どうしてここに?」
ようやく顔をあげた奏多が驚いた声をあげます。そして私とマスターを順番に見て、「ええっと……」と困った顔をしました。
私達は奏多の姿をした影と話しているので、知り合いのようなつもりでいましたが、奏多にしてみれば初対面です。ごく自然な反応でしょう。
ーーよかった。会えたんだね。
胸ポケットから稜佳の声が聞こえてきました。
ーー急かすようで悪いけど扉がまた閉まったよ。急いで戻ってきて!ーー
稜佳の声音に焦りがにじみ出ています。一来も感じたのでしょう。いつもよりもやや早口で話しかけました。
「奏多。ここにいては危ないんだ。何があるかわからないし、奏多が開けた部屋の扉が閉まったら帰れなくなる。だからこの人達は一緒に奏多を探しに来てくれたんだ」
ピュリュが黙って奏多に手を差し出しました。一緒に帰ろう、という意味のようです。奏多はその手を取らずに、後ろ手に手を組んで体を揺らしながらほんの数歩の範囲をさ迷いました。
「そうなの? ボクはただ暇だったから、ちょっと外に出てみただけだったんだけど……。やっぱりココって鏡の中の世界なんだね……」
「奏多が扉を開けてしまったので、一時だけ、鏡の世界に時間が流れているのです。扉が閉まったら、ここはおそらく時間が閉じてブラックホールに飲み込まれます。急ぎましょう」と説明を加えました。
「ここが消えてしまうのか……? 鏡の中のボク、幸せそうだったのになあ……。あいつらともあんなに仲良さそうで……。しばらく見ていたけど、ボクの事、誰もキズトンなんて呼んでなかった……」目に涙を浮かべてつぶやきます。
「ボク、鏡の世界に生まれたかったな」
「奏多」ピュリュが切なそうに奏多を見つめました。
「帰りたくないな……」奏多は手の甲で目をこすります。
「……ごめん。俺……、何も変えられなかった」
ピュリュは奏多を抱き寄せました。木漏れ日が降り注ぎ、ピュリュのライラックの風が、奏多の髪を慰めるようになでます。チラチラとまたたく光の中で抱き合う二人は、仲の良い兄妹か恋人同士のように見えます。
見守っていたいのは山々なのですが……。
「ねえ、ちょっと。感傷に浸るのは後にして。 時間がないの。帰るわよ。この世界は蜃気楼みたいなもので、現実とは違うの」と、マスターが急かしました。
はぁ、とため息がもれました。
――とても無粋ですが、残念ながら今は正しいですね。
「さあ、行こう」ピュリュが奏多の手を取りました。
「あっ、待って。あと一か所だけ。ボク、会いたい人がいるんだ。会うまで帰れないよ……」
ーーなに言ってるの? そんな余裕ない。扉は今、五十一㎝。猶予はあと九センチしかないよ。
稜佳が電話の向こう側から急かします。目の前で扉が閉まっていくのを見つめているのですから、焦燥にかられるのも当然でしょう。
「で、でも。もう二度とここへは来られないんでしょ……?」
奏多は潤んだままの黒目がちな瞳で、マスターと一来を懇願するように交互に見つめます。
根負けした一来が「ええ、ウッホン」と咳払いしました。
「ウィスハート……さん……、あの……」そして一来もアイラを見つめる。
「はあぁ……。もう! 会えば帰るのね? 迷っている暇はない。行くわよ!」
金色のツインテールが翻って、走り出したマスターの後ろにたなびきました。