第96話

文字数 701文字

 マスターは大正モダンな家の自室にたどり着くなり畳に座り込みました。古い屋敷は風通しがいい。どこからともなく空気が流れ、金色の髪をふわりとなでていきます。マスターは祖母の眠っている手鏡を覗き込んで話しかけました。

「おばあちゃん……」
「なぁに」マスターの祖母、桐子がふいに目を開けて鏡の中から返事をしました。

「おばあちゃん! 起きていたの? 珍しい!」
「おや。いつも寝てばかりいるみたいに言って」

 桐子は苦笑しました。実のところ、桐子が起きている時間はとても短いのです。
 しかしもっとずっと前には、桐子は幼いマスターの話し相手を一日中することもできました。鏡の中に祖母がいる。それは「普通」の事ではありません。しかしマスターの記憶の中の桐子は、初めから鏡の中にいました。

それに来日したばかりで友達もいないマスターにとって、鏡の中の桐子は祖母であり、いつも一緒にいてくれる友だちでした。桐子が鏡の中にいるのはごく当たり前のことだったのです。ですから、これまでマスターは桐子に「なぜ」鏡の中にいるの? と質問したことはありませんでした。

 年月を経て、桐子が徐々に弱ってきていることは確かでしたが、それでもほんの一年前までは、今よりも起きていることが多かったし元気でした。柔らかい表情をしてはいますが、この一年で桐子はすっかり力を落としてしまいました。

 稜佳の部屋で紅霧に会ってから、マスターはその原因を、紅霧が精命を吸い取っているせいではないかと疑っていました。しかし桐子が鏡の中に居るのは、もうずっと昔からだということを考えると、ただ単純に紅霧が自由に動き回っているせいだとも言い切れないような気がします。
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