第153話

文字数 1,222文字

「皆で必ず“帰る”!」

 マスターがカニのポーズで指を曲げ、奏多に向けてフィンガークォートをしてみせました。奏多がキョトンと首を傾げて、カニ? と分からないままフィンガークォートを返すとマスターは華やかに笑いました。まるで不安など小指の先ほども感じてない、というように。

奏多の肩からふっと力が抜けました。そしてマスターにしっかりとうなずき返しました。奏多を見ていたピュリュも、ホッとしたように、奏多の手をしっかり握りなおして家の中に入って行きました。

 ホッとして紅霧と視線を交わします。あとはしばらく時間を稼ぎ、稜佳の扉の秒読みに合わせて、家にかけ込めばいいのです。

「全員、キラルの扉を抜けたよ! 扉はもう限界。紅霧、フラーミィ戻って!」

 稜佳の悲鳴のような声が届きました。

紅霧が酒井君のお母さんの腹部を思い切り蹴り、ふっとばしました。コンクリートブロックがくずれて、瓦礫に埋もれたことを確認すると、紅霧は踵をかえし、奏多の家に飛び込みました。

 同時に私も家の塀を駆け上がり、体を捻って足を回し、勢いのまま冬矢の上から蹴りを落とし、アスファルトに叩きつけました。膝をつき、ダメージで動きを止めた冬矢の瞳が、怒りで染まります。

一瞬できた間を見逃さず、奏多の家に走り込みました。鍵をかけ、階段をかけあがります。紅霧がキラルの扉を抜ける背中がチラッと見えました。ぎりぎり間に合ったようです。最後に私が体を横にしてなんとか抜けると、背後で扉がカチリ、と音を立てた。振り返ると、扉にはもうわずかな隙間しかあいていません。
 背後から、玄関を破壊する音がガン、ガン響いてきます。

(しかし玄関はすぐにはやぶれないでしょう……し、この隙間の幅なら、もうエナンチオマーは通れまい)

 私はホッと一息つきました。

 稜佳の作った鏡まで続くハシゴは、なかなかよく出来ていました。部屋の中の物をうまく使い、積み木を高く積む時のように、重い物、大きい物から順番に積み上げてあります。

 念のため、もし誰かが落ちてきたら受け止められるよう、私は下で待機することにします。見上げると、先頭の奏多はもう鏡の出口に手が届きそうでした。もともと運動神経がよく身軽なので危なげありません。つぎにピュリュが奏多を気にしながら、やや下を登っていきます。

続く一来も、時折、足を踏み外しそうになりながらも、慎重に上がっていきます。マスターよりも一来が先に上っているのは、制服がミニスカートだからでしょう。緊急事態なのですから、パンツなど気にしている場合ではないと思いますが、人間というのは不合理な生き物です。
マスターの手が鏡のふちにかかると、マスターの下から登っていた紅霧が私を見て軽くうなずき、登ってくるように合図しました。

 ふっと息を吐き出し、私も机に足をかける。机やミニテーブル、椅子を積んだタワーを半分ほど登ったところで、鏡の向こう側から覗いていた稜佳が叫びました。

「フラーミィ! 後ろっ!」
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