第37話

文字数 1,057文字

「じゃあ、いくわよ」マスターは稜佳に手を差し出します。
「どこへ……?」

「稜佳ちゃん、イヤリングを返しに行こう? 一緒に行くから」

 一来が言葉を添えると、稜佳はくちびるをぐっと噛みしめて、再び泣きそうな顔になりました。けれど無理やりくちびるを横に引きのばすと笑顔をつくりました。

「ありが……」
「私、時間がないの。早くしてくれないかしら?」

 マスターのつま先が、とんとんと地面をうっています。なるほど。お礼を言われるのが照れくさいのですね。思わず、くくっと笑ってしまったのを隠すため、私は握りこぶしを口に当て、コホンと咳払いしました。
 マスターは稜佳をぐっと引っ張って立たせました。そして自分が付けていたネックレスを外すと稜佳の首に巻き、留め金を留めました。

「稜佳、誕生日おめでとう」

 聞こえないように、稜佳の耳元でささやいたつもりなのでしょうが、私の耳はごまかせません。しっかりとマスターの声をとらえていました。

「え? 私の誕生日はまだずっと先だけど……」

 稜佳は首に付けられたネックレスを指でつまんで、覗き込みました。銀色のペンダントトップには、薔薇と王冠がデザインされたブラック&ローズのロゴが刻まれています。

「あ、あの、これって!」

マスターは稜佳の声が聞こえないふりをして、ドアに突進すると、振り返って言いました。

「ほら、行くわよ!」

 マスターの頬がいつもよりも赤いのは、夕陽があたっているせいでしょうか? 一来と顔を見合わせると、くつくつ笑いがたまらず湧き上がってきました。急いで影にもどり笑いを隠します。見つかったらまた面倒なことが起きるでしょう。

 しかしひとり取り残された一来は、笑い声をたててしまいました。すかさず振り返ったマスターの長いツインテールが鞭のようにしなり、ピシリと一来の頬を襲います。

「痛ってぇ……」

 頬をさすりながら、恨めしそうに私を見る一来を見て、さらに笑ってしまいましたが、影の姿なので見えないでしょう……と思ったのですが。

「フラーミィ! ジャスミンの香り、ダダ洩れだから! それで笑っていること隠しているつもり?」

以前にも感じましたが、一来はなかなか鼻が利きますね……。仕方がありません。私は影のまま、一来の体を這い上り耳元で囁きました。

「今度、埋め合わせしますから。影だけに、影ながら、ね」

 そして、一来に手を貸す約束をしたのは二回目だと気が付きました。通常、借りを作るのは嫌なものですが、この時ばかりはなぜか楽しい気持ちになり、私はいつまでもクスクスと笑っていました。
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