第87話

文字数 1,088文字

「あら、そう? 近くで見た方が、マミちゃんのかわいさがよくわかるのに。まあ、いいわ。それで何の用?」

 稜佳が蜘蛛に興味を示さなかったことにマスターは不満げに肩をすくめると、蜘蛛に話しかけていた時とは全く違う、そっけない口調で稜佳に聞きました。

「なんだっけ……」

 稜佳が口ごもっていると、控え目な音量で短い音楽が教室のスピーカーから流れてきました。

「予鈴がなったわよ。出直せば?」
「そ、そんなこと言っても、アイラちゃん、私が来るまで待っていてくれないじゃない。だから会えた時に話さないと……」

 稜佳は眉を寄せて天井を睨みました。蜘蛛を見て吹っ飛んでいってしまった要件を、視線で撃ち落とそうとしているかのようです。

「あ、そうだった。Death Crownにライブハウスから出演依頼が来ているの! ねえ、出てみ……」
「イヤ」

 蜘蛛のマミちゃんに向けられていたマスターの優しい目は、稜佳に照準をぴたりと合わせたとたん、スナイパーの鋭さを放ちました。稜佳の視線がレディース用の護身銃だとすれば、マスターの視線はさながら、狙撃銃です。

「わ、わかったよ、アイラちゃん…」と言いながら、こんな時いつも助けてくれる一来の姿を求めて、稜佳の視線が教室内をさまよいました

「あれ? いるじゃない……」

 不思議そうにつぶやいたところを見ると、どうやら稜佳は、困っているとどこからともなく現れる一来が近くに来ないのは、教室にいないものだと思っていたようです。開きかけた口をまた閉じます。稜佳が突然静かになったので、マスターが不審そうに稜佳の視線を目で辿り、「そういえば、なんだか様子が変ね……」と首をかしげました。

「どうしたのかな?」
「フラーミィ、一来がおかしいのはいつからなの?」

『そうですね。ここ一週間といったところでしょうか』

「えっ、同じクラスにいて、一週間も一来君の様子が変な事に気が付かなかったのっ?!」

稜佳の声に、めずらしく非難が混じっています。

「し、仕方ないじゃない。私はこのところ、マミちゃんのことで忙しかったし……。それにフラーミィが教えてくれなかったんだもん」とマスターは私を指さしました。

「アイラが聞かなかったからお話しなかっただけです。あんなにも分かりやすく様子がおかしいのに、よもや気が付かないとは思いませんでしたので」と、押し付けられた責任を丁重にお返しします。マスターが私をキッと睨んできましたが、影の姿なのをいいことに知らん顔を貫き、『そうですね。さらに言わせていただくならば、一来の様子はだんだんひどくなってきているようですね』と言い添えました。

「だんだんひどく……?」
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