第34話

文字数 594文字

「消える? 死んじゃうってこと? ちょ、ちょっと黒炎、なんとかしなさいよ!」

 マスターは腰に手を当て、仁王立ちになって命令してきますが、精命を自ら手放そうとしている人物に何もしてやれることはありません。私は首を横に振りました。

『このまま最期の時まで見守るのが最善かと思われます』

「ダメだよっ! そんなの!」一来が私の言葉に被せるように叫びました。

 そして識里稜佳の本体を両手でゴシゴシとさすり始めました。影を左手で抱き抱えて支えているので、右手を一杯に伸ばしてやっと届くよう無理な体勢ですが、影を離すことなく、しっかりと抱えています。

「戻っておいでよ! いいんだよ! 悪いことを考えるときもある。悪いことやっちゃうことだってあるよ! やり直せばいいんだよ!
 コンサート、行くんでしょ? ねえっ。ねえっ。間違えたらやり直せばいいんだよ!
 一緒に行ってあげる、アクセサリー返しに一緒に行ってあげるから、戻ってきて! 間違えてもいいんだよ。だから戻ってきて……」

 叫びながら、稜佳の体をゴシゴシとさすっています。同じことばかり、何回も何回も言いながら。同じ言葉の繰り返しは無駄だと思いましたが、一来の言葉の一つ一つは、ほんの少しずつ少しずつ、識里稜佳に浸み込んでいくように見えました。

 沢山の言葉じゃない。たった一つだけ。戻って来い、ただそれだけを、同じ場所を何回も穿つように、一来は重ねます。
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