第57話

文字数 674文字

 マスターは黙って、小さなグラスに入ったパンナコッタをスプーンですくって口に運びました。

稜佳が黙って返事を待つ間に、グラスはちゃくちょくと空っぽになっていきます。考え事をしながら、食べているので何を食べているのか分かっていないことでしょう。

ああ、もったいない。私もパンナコッタを試食させていただきたいので、抹茶シフォンのお皿とすり替えました。

 マスターのスプーンが柔らかいシフォンにあたり、「おや?」というように顔を上げ、そして抹茶シフォンに視線を落とすと、咳払いしました。
 「フラーミィ、私はパンナコッタが食べたかったのよ」

 嘘に決まっています。マスターが味わっていなかったのは明白だったのですから。

 私は大きな口をあけて、パンナコッタの最後の一口をこれみよがしに口に運びました。つるりとしたミルクの味。ああ、至福のひととき……。

 「まあ……、いいわ。幼い頃の自分を怒るっていうのも気分が悪いわね仕方ないわ唄ってもいいわよ」

マスターが会話にまぜて早口で承諾したことに、一来も稜佳も気付かなかったのは、おもしろ……あー、コホン。いえ、嘆かわしい。

『ねえ、マスター、抹茶シフォンはフォークの方が食べやすいよ』

 私もわざと聞こえなかったふりをしました。

「パンナコッタ、もうないの? じゃあガトーショコラ食べようかな」

 こちらは本当に気がついていない一来が、ガトーショコラの皿に手を伸ばします。

「あ、私ドリンクバーで紅茶をおかわりしてこよう」

 これまた全く聞いていなかった稜佳が、顔をあげて、立ち上がろうとテーブルについたその手を、マスターが掴みました。
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