第24話 藁の中の一針
文字数 2,758文字
鬼灯先輩のおかげで効率が上がったとは言え、絶望に細っそい蜘蛛の糸が垂れ下がったくらいなのだ。
後はどれだけチェックリストを処理し、不具合を見つけられるかによる。
「出掛けてるな」
鮫島家に人の気配は無い。セナさんは仕事で、リンカも出掛けているのだろう。
彼女は今日から夏休み。存分に堪能していただきたい。
ふと、自分が高校生の夏を思い出す。
蝉の鳴き声と入道雲。
麦わら帽子と夏の日差し。
線香の煙と祖母。
猟銃と祖父。
「……まぁその内でいいか」
会いに行っても良い顔をしないだろう。それどころか、顔を見せただけでぶん殴られる。
「仮眠してから行くかー」
オレは27時間振りにアパートに戻り、部屋に入ると適当に寝転んだ。
結局、リンカに会うことなくオレは作業場へ戻った。
皆がとにかく全力で目の前の処理を一つずつ確認し、各々で休憩や仮眠。出来るだけ詰めてやった。
鬼灯先輩が作業場に入った事で的確な指示と鼓舞により、皆のやる気は一定に保たれる。
鬼灯先輩に対するファンが増えたり、仮眠に行った先輩を誰が起こしに行くのか男たちで揉めたり(後に泉の担当になった)、オレはまた柱の男にされそうになったりと、事務的な作業の中でも心の中に余裕はあった。
それでも二日、三日、四日と経っても不具合は見つからない。
納期は刻一刻と迫り、皆の心は焦りで埋められ始め、帰る時間も惜しい程に全員が席に着いてチェックリストを手に持つ。
「あったー?」
「なーい」
オレが作業に入ってから五日目の深夜。オレと泉の会話もそんなものである。
鬼灯先輩と他の数人は仮眠と休憩に席を外しており、作業場には三分の二ほどしか席には着いていない。
「結構確認は出来たと思うんだけどなぁ」
オレはパサっと調べ尽くしたリストの一枚を終わった籠に入れる。
「……もしかしたらどこかで見落としがあったのかも」
「ヤメロ。それは言うな」
泉が不安を口にする。既に不具合のチェックを素通りしてしまったと言う最悪の想定である。
「不安になるのは解るが、皆真面目に確認してきたんだ。見落としはない。絶対に」
オレは確信めいた口調で言い切る。すると、不穏そうな泉の表情がいつものモノに戻った。
「あんたがお気楽で助かったわ」
くっ、人が気を使ったってのに……このチビ女は……!
「おお?! うおおおお!!」
その時、田中が叫んだ。田中はオレを吊るした男の一人。血の涙を流してたヤツ。
「どうした?! 田中!」
「ついに壊れたか!?」
「正気に戻れ!」
「誰か、救急車を!」
「
「うるせえ、お前ら! 俺は正気だ!」
田中の受け答えはハッキリしている。この過酷な状況に精神崩壊を起こしたのかと思って、ビンタしてた奴も手を止めた。
「これ! これこれ!」
やっぱりイカれてる、ともう一回ビンタされると、PCを見ろ! と田中は自分の机を指差す。
泉が田中のPCを見るとそこにはエラーのメッセージが出ていた。
「――これじゃん」
泉の言葉にその場にいる全員が新種の微生物を発見した研究者の様に田中のPCに殺到する。
ちなみにオレは良く解らないので離れて見ており田中に、大丈夫か? と声をかけていた。
「これじゃん!」
夜中にも関わらず全員で、うおおお! と歓声を上げた。
帰れるー、と泣く者。
クッソ、ふざけんな! と嬉し泣きする者。
こんな所に居やがって! と迷子の我が子を見つけた親のように泣く者。
詩織先輩起こしてくる! と泉は出て行く。
俺に感謝しろよ、お前ら。とドヤる田中は全員に、テメー良く見つけたな、ともみくちゃにされていた。
とにもかくにも、オレらは藁の中から1本の針を見つけたのである。
「間違いないわ。この処理が不具合を起こしてるみたいね」
その後、納品予定の実機でも確認し、田中の見つけた不具合が原因であると確定した。
「修正に取りかかりましょう。納品は明日の午前中よ」
ここからは専門分野の出番。鬼灯先輩も加わって必要な修正を施すが、皆、疲労はピークに達している。
ケアレスミスから再び迷宮に入りしない様に慎重に何度も確認しながら完了した。
「――うん。動作も問題ないしエラーも全部解消されたわね」
鬼灯先輩の言葉に皆は、終わったー! とようやく安堵の息を吐いた。
既に夜は明け、社員達が出社してくる時刻だ。
「皆、ご苦労様。今回の件は誰が欠けても今の結果にはならなかった。今日は帰って皆休んで頂戴」
「良いんですか?」
鬼灯先輩の言葉に佐藤が聞く。
「ええ。この業務が終わる日と次の日はお休みをという事で上には話をつけています」
マジか! と全員が見合わせる。
そして、鬼灯先輩に後を任せてぞろぞろと帰宅を始めた。
「鳳君もお疲れ様」
「はい。でも良かったぁ」
「ふふ。リンカさんと予定があるんでしょう?」
「うぇ!? なぜその事を……」
オレはチラッとまだ居る野郎どもを見る。
「リンカさんに、仕事は大変なんですか? って連絡をもらったの」
「気にかけてもらってすみません」
「いいのよ。リンカさんによろしくね」
鬼灯先輩は納品と業者への対応に残る様子だが、泉も共に対応するとの事だった。
オレは鬼灯先輩のお言葉に甘えて帰ることに。
「ん? おお?! 鳳! テメー! 話は終わってねぇぞ!」
「女子高生の話、聞かせろや!」
佐藤と田中が嗅ぎ付けた。馬鹿め、出口はこっちにもある!
「あばよ。もうお前らとは二度と会いたくないぜ!」
「次はお前を指名してやるからなー!」
スタコラサッサと逃げ出すオレに佐藤は親指を下にして田中は中指を立てながら笑っていた。
徹夜というモノは、終わった直後は妙な覚醒状態にあり眼が冴えるのだ。
しかし、規則正しい電車の振動や、じっとしていると睡魔が襲ってくる。
それは次第に全ての行動を強制的にシャットダウンさせるほどに強烈なモノになる。
「あーこれやべーわ……」
コンビニに寄って飯を買う余裕もない。とにかく寝る、とにかく寝る、とにかく寝る――
脳の中は睡眠欲で埋め尽くされている。意識が朦朧としつつアパートの階段を上がると、自分の部屋のドアノブを回す。
あれ……? 鍵かけたよな――
開いた扉から倒れ込むように入るとそのまま眠った。
「! おい!」
リンカが本を読んでいた所に、いきなりケンゴが扉を開けて倒れて来た。
何かあったのかと、慌てて駆け寄るが寝息が聞こえてくる。どうやら寝ぼけて部屋を間違えたようだ。
「……まったく」
叩き起こそうかと思ったが、今回くらいは見逃してやるか。
「…………」
リンカは周囲に視線を送って誰も見ていないことを念入りに確認すると、ケンゴの頭を撫でながらその寝顔を観察する。
「おつかれさま。おにいちゃん」