第308話 私の使命だ
文字数 2,422文字
それは、古くから流雲家が引き継いできた伝説だった。
一人の少女が疫病で人々を苦しめる妖魔へ生け贄とて捧げられた。
妖魔に魂を喰われる瞬間、少女の内にある魔を滅する光が輝いた。
三日三晩の死闘の末に少女の光は妖魔を討ち滅ぼしたが、彼女の命もまた風前の灯火だった。
そこへ通りかかった旅の武芸者が少女を保護し、彼女の手に触れた瞬間、妖魔との戦いの記憶と少女の力を受け継いだ。
ソレを伝えきった少女は息を引き取り、その遺体は空へ昇る。そして、流れる雲となったと言う。
その後、武芸者は少女の生きた証を絶えさせぬよう、流雲と名乗り、世界各地を旅してあらゆる魔を討ち祓った。
「大丈夫ですか? 女郎花社長」
「ああ……」
西ヨーロッパの地方にて白鷺の土地を訪れた女郎花は、久しぶりに腐臭の少ない場所に居た。
視界いっぱいに広がる小麦畑。来客としてテラスから麦の収穫を眺め、時折通り抜ける風を心地よく感じる。
「貴方はいつも疲れていますね」
「貴殿には関係の無い事だ……」
白鷺家当主――白鷺圭介は女郎花の知る中でも腐臭が少ない人間だった。
「どうやら、ここはお気に召さないようですな。場所を変えます?」
「いや……ここで良い」
『ラクシャス』の戦争を終結させ、政府を立て直し大統領を選定。『プラント』の本社を移転し、これからが本番だった。
しかし、近づいてくる腐臭に耐えきれず、視察と称して人の少ない土地に来たのである。そして、新しい発見もあった。
「お父様ー」
手を振る圭介の娘。彼女からは腐臭が全くしなかった。光こそ放ってはいないものの、名倉昌子以外では初めて見たのである。
「彼女は純粋か?」
「娘の事に興味が?」
「下卑た意味ではない」
聞く所によると、あらゆる英才教育を苦も無くこなす才女との事。学歴は勿論の事、運動は比肩する同年代は居らず、音楽や帝王学も修め、成人していないにも関わらず、圭介の手伝いをしていると言う。
「夫となる者はさぞ苦労するだろうな」
「あの子には……逃げた私とは違って、故郷の地で死なせてあげたいのです」
「いずれ……彼女も汚れるか……」
ここの景色は『ラクシャス』とは正反対だが、心地良い。
醜い思惑が無い――純粋が腐臭を減らすのだろう。
「……」
女郎花は自分が脳に何かしらの障害を抱えていると察していた。
客観的に見て、嗅覚がこれほどに異常を来すのはあり得ない。やはり……睦月先生を失った事も起因か……
肉体的と精神的に大きなダメージを受けた事による発現した障害。治す手段など存在しない。
「……女郎花社長。貴方が良ければ“厄祓い”を観に行きませんか?」
女郎花の様子に圭介が提案する。
近くの街にある祭。そこのステージで『流雲武伝』が演目を行うとの事。
「会場にコネがありまして。今から行けば間に合いますが」
「……行くだけ行ってみるか」
女郎花は本当に疲れていた。気休めでも良いから、物珍しいモノを見て紛れるなら、と圭介と共に街へ向かう。
『此度は演目を勤める者が怪我をしてしまい、代理人となります』
街の屋外ステージにて、多くのアーティストによるイベントの中、『流雲武伝』に間に合った女郎花と圭介だったが、不都合のアナウンスを聞く事となった。
「運が悪いな。誘っておいて申し訳ありませんが……帰りますか?」
「そうだな……」
マスクを着けて来たものの、やはり人の多い所は耐えられそうにない。
女郎花は踵を返し、“厄祓い”に興味の無い観客達も各々でスマホや談笑をしてステージには興味が無い様子だった。
そんな中、ステージに仮面を着け、剣を持った一人の少女が上がる。
「――――」
少女の年齢は十代後半。色素の薄い髪を赤い紐でまとめ、袖の広い民族着から剣が覗いている。
そして、民謡が流れ、彼女の舞いが始まった。
「女郎花社長。何か食べて帰ります? 社長?」
思わず振り返っていた。
音楽が進み、彼女が、剣を振り、身体を動かす度に一人、また一人とステージへ視線が向ける。
我は流雲。
流るる雲。
時に雨を。
時に雪を。
時に雷を。
従えて、数多の厄災を祓う。
曲も半分ほど進んだ時には、周囲の雑談や談笑は消えて誰もが舞う彼女を見ていた。
なんだ……? こんな事はありえるのか……?
中でも一番驚愕していたのは女郎花本人だった。
あの子以上の“光”。腐臭を持たないだけではなく、誰もが求めて止まない光をステージの少女は放っていた。
演目が終わる頃には誰もが彼女に魅了されていた。音楽が停止し、少女は姿勢を正すとペコリとお辞儀をする。
すると、誰かが拍手をする。思わず魅了されていた者達も称賛を送る様に拍手を始め、それは次第に大きくなっていく。
静かに増える拍手の中、少女はもう一度頭を下げるとステージから降りて行った。
「お気に召されたようで」
「彼女は……一体何者だ?」
『以上が流雲昌子さんによる『流雲武伝』でした。見事な舞いでしたね。心の魔が祓われた気分ですよ』
司会者が先程の少女の名前を告げる。ジョーク混じりのトークに観客は、ハハハと笑った。
「年齢的には綾と同じか一つか二つ上かな? 少しぎこちない動きもあったけど気づいた人は殆どいなかったかな」
「……流雲……昌子……」
「帰りましょうか女郎花社長。妻が食事を用意しているそうです」
「いや、ここで私は『ラクシャス』へ帰る」
女郎花は改めて再認識した。
私のやっている事は……目指したモノは何も間違いではなかった。
彼女は他とは違う。この世界でただ一人、私が拠り所とする“光”だった。
「ソレを決して失わせてはならない」
この醜い世界に呑まれる前に私が護らねばならない。それが――
「私の使命だ」
タンカー船。
女郎花はあの日よりも、強く光を宿すショウコが目の前に現れた事に一層の使命を感じていた。
全ての準備は整った。後は、彼女を『ラクシャス』に迎えるだけなのだ。
「――――」
ショウコが動く。