第505話 23年前 狂う船
文字数 2,089文字
「じー、こっち」
「おう、先に行け」
しかし、ケンゴは慣れている様に先に進む。そして、思ったよりも荷の妨害には合わなかった。
周囲をよく見ると、揺れが来ても大丈夫な様に部屋の扉は閉められ、通路の扉は開放されたままだ。
きっと、重い家具は遺体の水葬に使われたのだろう。船内に遺体が全く無かったのは、生き残った者達に対する配慮だと察する。
「――」
その時、船体は前方がせせり上がる様に大きく傾き始めた。角度が30度、40度、50度、60度とそのまま引っくり返るのではないかと錯覚する程に急になっていく。
ポケットから将平のスマホが滑り落ちるが、
「健吾!」
ジョージは前を進んでいたケンゴが、唐突にその角度になった事で転がってきた所をキャッチする。自身は近くの手摺を掴み、状況を堪え忍ぶ。
傾きは止まると、重力に従い再び元の角度に戻った。浮遊感から開放されてジョージはケンゴを抱えたまま安堵する。
「じー、いまの坂道みたいなの、はじめてだったよ」
「そうか。怖くなかったか?」
「うん。じーが居るから」
まるで遊園地に居るかのように楽しんでいるケンゴ。変にパニックになるよりは良いとジョージはケンゴを抱えた。
「ここからは、じーがおんぶする。絶対に離すなよ?」
「うん」
いよいよ危なくなってきた。
ジョージはケンゴを背負うと揺れが収まっている内に客室区の階段を上がり、メインホールを抜ける。
すると、外は風と雨で荒れ狂っていた。室内にいても身体が押される様な突風は、外に出れば吹き飛ばされると錯覚する程だ。
「じー」
「どうした?」
背のケンゴが話しかけてくる。
「ごめんなさい……僕がわるい子だから……かみさまおこってる……」
この悪天候を自分のせいだとケンゴは思っている様だ。
「ケンゴ、お前は悪くない。もし、お前を悪いと言う奴がいたら、じーに言え。どんな奴でもぶっとばしてやる」
「……ほんと?」
「ああ。じーは、日本最強だからな」
「さいきょー! カッコいい!」
ジョージは一度ケンゴを降ろすと、自分の救命胴衣を着せて再度背負う。そして、近くにある手頃な装飾品のロープで自分とケンゴを離れない様に結んだ。
「行くぞ」
「おー」
意を決して外へ出る。案の定、風は強烈に吹き荒れ、大きくなる波と共に『WATER DROP号』を揺らしていた。
絶望的な状況だが、まだ何とかなる。『ガルート号』に――
「……」
「じー?」
ジョージは侵入してきた梯子まで戻ってきたが、『ガルート号』はどこにも無かった。
それもそうだ。ここから離れなければ嵐に巻き込まれてしまう。
「じー、ふねー」
すると、ケンゴは遠くを指差した。
そちらを見ると『ガルート号』は『WATER DROP号』の周りをぐるりと移動し、ライトを着けてこちらへ向かって来ていた。
『ジョー、生きとるか?』
「ああ、無事だ。健吾もな」
ジョージはトキからの無線に答える。
「ばー、いるの?」
『おお、ケンゴ。ばー、の事を覚えとるのか?』
「うん!」
『そうかそうか。なら、後でお菓子をやろう』
「わーい」
「トキ、マッケランと話をさせてくれ」
すると、周波数がブリッジと切り替わる。
『ジョージ……聞こえるか?』
「マッケラン、寄せられるか?」
『安全に停船が出来ない。海に飛び込め。こちらはすれ違い様に浮き輪を投げる。それに全力で捕まれ』
「わかった」
『タイミングは一度きりだ。損なったら次はない』
「大丈夫だ。そんな場面は何度も越えてきた」
慌てる様子も緊張する様子もないその口調にマッケランも余裕が生まれる。
「何から何まで……すまんな」
『我々全員の意思だ。誰一人として、お前達を見捨てようと考えた船員はいない』
無線を切ると『ガルート号』はライトをパッシングして、こちらを視認している事を伝えてくる。
「ケンゴ。これから海に飛び込む」
「おこられるよ?」
「じーと一緒だから大丈夫だ。合図をしたら息を大きく吸え」
「うん」
ジョージはタイミングを見計らう。
風は強風から暴風へと変わり、手摺を掴まなくては体勢を維持出ない程に強力になっていた。
荒れる波と風に煽られてながらも『ガルート号』はこちらへ近づいてくる。
かなり危険な状況だと言うのに、自分達のために行動を起こしてくれる面々にジョージは改めて感謝した。
その時、
「――なんだと……」
『WATER DROP号』大きく傾き始めた。
全体的には、ジョージ達の居る場所の反対の側面が荒れた波と暴風に押されて、二人を覆い被さるように傾いて来たのだ。
今まで以上に止まらない。間違いなく転覆する勢いである。
『ガルート号』はその様子を見て、即座に『WATER DROP号』から距離を取る様に舵を切る。そのまま進めば巻き込まれてしまうからだ。
「ケンゴ! 息を吸え!」
ジョージは可能な限り『WATER DROP号』から離れる様に跳ぶ。
回避する事で精一杯だった『ガルート号』は目の前でジョージとケンゴが転覆と海に呑み込まれる様を見ている事しか出来なかった。