第543話 いつ会える?
文字数 2,463文字
頭が良いと言うよりも、物事や情報を理解し、それを己の知識として汎用させるのが上手かったのだ。
母もそう言う天才肌の人間だったが、己の症状を知ってからは表舞台からは姿を消すことを選んだらしい。
自身の目指す道を病によって断念せざる得なかった母にとって、娘である私への期待はとても大きかったのだと思う。
私もそんな母の期待に答える事は苦では無かったし、期待してくれる事はとても嬉しかった。だから――
“何故なのシオリ! 貴女は完璧だったのに! こんな欠陥を――”
そう言われた時はショックを受けたと言うよりも、これ以上母の側には居てはならないと強く思った。
大好きな母からそれ以上の罵倒を貰ったら耐えられない。
だから、自分勝手な判断で私は最低限の連絡を取る事だけを決めて、自分から家族の元を去った。
本来なら向かい合うべきだと思う。けど……私にはそんな度胸はない臆病者だった。
「やれやれ、まさか式場に呼び出されるとはね。この国の司法も祖国と変わらないエキサイティングなステージの様だ」
結婚する社員の方が、婚約者の浮気の暴露を結婚式で行う事になり、私とアーサー先輩はお客さんとして式に参加した。
暴露で状況が荒れたところで、アーサー先輩が弁護士として場を制し、婚約者側を完全な有責として処理したのである。
「ジャパニーズの執念深さはエドー時代から脈々と続くデスティニーだねぇ。全員が全員、子猫ちゃんみたいに素直じゃないか」
「傷ついた心を癒すには各々の価値観に基づいて行動を起こすしかないのだと思います」
人は傷つきたくない。身体も心も。だから……傷を負ったら、それが癒える様に行動を起こす。
「子猫ちゃん。この依頼に就いてから、少々らしく無いけど何か気になる事でもあるのかな?」
アーサー先輩の観察眼は知り合いの中でも群を抜いていた。僅かな挙動から相手の心情を察する。
「不真面目でした。すみません、次からは気を付けます」
「焦りは禁物だぜ子猫ちゃん。人生は広く浅い。思ったほど簡単に足が着く場所ばかりだ。故に簡単な事も難しく考えすぎる事がある」
「…………」
「悩みがあるなら話してみなよ。シークレットの共有は思ったよりも心がキュアされるぜ」
「……先輩は何故そこまで私を気にかけるのですか?」
会社にスカウトした時も、偶然を装って何度も声をかけていた。最初は昔から良くあるナンパと類いかと思ったが、そんな下卑た様子や挙動は一切なく、兄の様に親身に接してくれる。
「気にかけたつもりは無いさ。君にふさわしいステージがあると感じただけの事。そこに立たせるのがこの、アーサー・スタンリーの役目ってワケ。俺は脇役だよ。気軽にパイを投げつけられる人間が近くに居ると思って接してくれればいいさ」
頼れる大人の男性。アーサー先輩からは私が自分から離れた父の雰囲気を感じた。
「…………アーサー先輩。私の悩みを聞いて貰えますか?」
「いいよ。子犬ちゃんと小鳥ちゃんの同席も良いかな? 仲間外れにするのは可愛そうだ」
「……はい。あの二人にも知っていて貰いたいです」
私は一人で抱えていた事情をアーサー先輩とケイと甘奈に打ち明けた。
母の事、私が子を成せない事、その二つが原因で家族を壊してしまった事。何が悪くて、どうすれば良いのかわからない事。三人は親身になって聞いてくれて、
「辛かったな」
と、ケイが抱き締めてくれた時は少し涙ぐんだ。
「シオリちゃんのお母さん、絶対に本心じゃないよ!」
と、甘奈が言ってくれた言葉に改めて母が私の事を愛してくれた気持ちを思い出すことが出来た。
「荷物ってのは抱えきれたとしても分け合うものだぜ、子猫ちゃん。自分にしか抱えられないと決めつけるのはナンセンスだ」
アーサーブレンドをクイっと飲む先輩の言葉に私は、はい、と返事を返す。家族以外にも心を落ち着かせる場所が出来た事が嬉しかった。
心は軽くなったけれど、深く根強く残る問題が解決出来たワケじゃない。
それと再び向き合う事になったのは、彼と再会した時だった。
「同じ道に居ることは知っていた」
「……真鍋弁護士。何故、この依頼を受けたのですか?」
「たった三年のキャリアとは言え、あのアーサー・スタンリーの元で実戦経験を積んだお前は、誰よりも手強い相手だ。それを知っているのは、俺とお前の師である鷹さんだけだからな」
社長の機転もあって、彼と師による会社への攻撃は何とか納める事が出来た。そして、三鷹先生は社長にスカウトされて、会社へやって来てくれた。なんでも好条件だったのでここいらで老後を考えたとのこと。
「正十郎から提案されてね。4課を創設する事になった。詩織、あんた課長をやりな」
「…………考えさせてください」
経験的にも能力的にも私が適任だと私もわかっていた。けど……会社があまりにも居心地が良すぎたのだ。
子を成せず、育てる事が出来ない私にとって、先輩と慕ってくれる後輩の子たちをどこか家族の様に見るようになって、欲が出てしまった。上の地位に就いてしまったら、彼らと距離が出来てしまうかもしれない。
「鬼灯。お前さん、3課に来ないか?」
「え?」
悩んでいた所に獅子堂課長が声をかけてきた。
「いやなぁ……神楽坂が寿退社しだろ? 女性の新入社員に割り当てる女性社員が3課に不足しちまってな。4課を設立する件は聞いてるが……他の課から引っ張るよりは、まだ固まらない所からって思ってな」
「検討させてください」
「おお! そうか! 三鷹の事は任せろ。俺が説得しておく」
「先生は手強いですよ?」
「ガハハ! ババァの事はジジィに任せろ」
それでも、後任は必要だと思った。全てを放置して3課へ移動するのはあまりにも無責任だ。
「…………」
“お久しぶりです、真鍋弁護士。宜しければメッセージを下さい”
と、もらった彼の名刺の番号からショートメールを送った時は本当に悪い事をしていると思った。
返答が来なくても仕方ないと思っていると、
“いつ会える?”
そう返ってきた。