第312話 君は私にとっての“光”
文字数 2,288文字
「うっ……」
カーシャは身体を揺さぶられてゆっくりと意識を取り戻した。
目の前には自分の肩に触れる女郎花がこちらを見ている。
「社……長……?」
自分は……眠っていた? 業務中に――
すると、気を失う寸前までの記憶が流れ込む。倉庫で遭遇した、ユニコ君『Mk-VI』との戦い――
「! ヤツは――痛っ!」
「少し痛いぞ」
女郎花はゴキッとカーシャの肩をはめる。そして、自分の上着で三角巾を作ると腕を吊ってあげた。
「後で船医にも診てもらうように」
「は、はい……」
社長が動いていると言うことは……ヤツの進行は防げたのか……? いや、問題はそこじゃない。
「申し訳ありません……社長自らを……動かしてしまう様な手間を……」
おそらく、ジェットやゲイルも負けたのだろう。全て自分の采配のミスだ。この場でクビを言い渡されてもカーシャは受け入れるつもりだった。
「構わないさ。たまには私も現場に出なければね」
彼は憑き物が落ちたかのように、いつもの他人を遠ざける様な雰囲気が無くなっていた。
「腕が治るまではデスクワークに準じなさい。私の片腕が勤まるのは君とマークだけなのだから」
「――はい」
と、客室側の扉からジェットとゲイルが現れる。
二人はショウコが逃げた事を察し、意識を取り戻すと後を追いかけるように走ってきたのだ。
「社長!?」
「……」
女郎花が異常な程に執着していた流雲昌子に逃げられた事実はかなりの懲罰モノだと二人は足を止める。
「二人とも無事だな?」
「え? ああ、はい……」
「業務に支障はありません……」
近づき、肩に手を乗せる女郎花の様子に二人も少し困惑する。
「ふっ。ジェット、君はボコボコじゃないか。カーシャと一緒に医務室に行きなさい。ゲイル、甲板で騒いでいる者達へ業務に戻る様に言いなさい」
「はい」
ジェットはカーシャに肩を貸し、ゲイルは甲板へ向かった。
「……社長。なんか変わりました?」
「ジェット! 失礼ですよ!」
相変わらずなジェットの物言いにカーシャも目くじらを立てる。
それに対する女郎花のいつもの反応は視線を合わせずに無関心で去るのが通例である。
「ああ。そうかもしれないな」
微笑みながら、そう返す女郎花。そして、
「『ラクシャス』に帰るぞ。マークが拘留された件も片付けねば。やることは沢山ある」
いつの日か、彼女が自ら来てくれる様な……そんな場所を世界に作ろう。
その想いを胸に女郎花はブリッジへ向かった。
「失恋か……」
「……」
不敬な反応が止まらないジェットの脇腹にカーシャは肘を入れる。
彼を初めて見たのは今年の夏だった。
特別号を作る為に山中のコテージ付近での撮影が行われ、私も雑誌の表紙を撮るために一日だけその場に居たのである。
「蜂だ!」
トイレにコテージへ寄った時、反対側でスタッフの人間が叫んだ。
雀蜂が場を混乱させる様に襲来し、一人の女の子へ向かった瞬間、
「――――」
彼が女の子を護るように雀蜂を握り潰した。
その後は一時、コテージへ全員が避難して様子を見ていると、
「あ、オレが見てきますよ」
彼は冷凍スプレーを持って一人出て行った。
「……沼田さん」
「なんだい? 流雲さん」
私はカメラマンの沼田さんに彼の事を聞く。
「あの人は、新しいスタッフ?」
「いや、彼はお嬢様の知り合いらしい。もう一人の女の子が来てるだろう? 彼女の付き人だよ」
「……名前はわかります?」
「えっと……確か、鳳健吾さんだった」
鳳健吾。
彼は何故、咄嗟に前に出たのだろうか?
自分が刺される事は怖くなかったのだろうか?
初めてだった。自分から知りたいと思った異性は。
「ストーカー……由々しき事態だな! よし! ショウコ! しばらく、西城さんと共に過ごすと良い! 彼女なら安心だろう!」
ストーカーの件で真っ先に女郎花教理の事が頭に浮かんだ。そして、私が彼とは決着をつけなければならないと思った。
「谷高社長。夏のコテージに着ていた人……鳳健吾さんにお願い出来ませんか?」
だから、誰が一緒でも変わらない。それなら、残された時間を知る時間にしよう。
「ふむ……問題はなさそうだ! 彼にはヒカリが世話になっている! 信頼できる人選だ! しかし、ショウコ。どこで彼の事を?」
「少し話がしたいのです」
その返答に谷高社長は、そうかそうか、と恋愛的な意味で捉えたのかもしれないが、私としてはそんな気は一切なかった。
「父上。鳳健吾と言う人の側に行くことにした」
父にそう言うと、なんと彼は父の勤める会社の社員だった。世間は狭いなぁ、と思いつつ時間を決めて彼と改めて対面した。
「よし……追撃は無さそうだ」
離れていくタンカー船からのリアクションが無い事を私は彼と見届けていた。
全てが終わった。女郎花教理が今後、どんなリアクションを起こすかわからない以上、まだ暫く、彼との生活は続くだろう。
「それにしても……ケンゴさんは本当に無茶をしたな」
「ハハ。ショウコさん。君に言われたくないよ」
彼は私の行動を咎める様子も怒る様子もない。
救い出す事がさも当然の行動である様に一直線に走り抜けたのだ。
「今は焼き肉しか考えられないなぁ。ガッツリ食べに行こうよ」
「ああ……そうだな」
そう言って彼は重々しくクルーザーの船室へ入った。私はスピードに流れる髪を押さえながら彼の背を見送る。
「……どうやら君は私にとっての“光”らしい」
吊り橋効果もあるかもしれないが……女郎花教理が、ソレを求めて止まないとする気持ちを少しだけ解った気がする。
「これが初恋か」
彼との意味合いは少し違うのかもしれないが。